1953年3月23日北海道告示

昭和28年3月23日北海道告示第420号(道道の路線の認定)
整理番号路線名起点終点重要な経過地道路法該当号
1岩見沢苫小牧線岩見沢市4条1丁目 一級国道12号線接続点苫小牧市字植苗 一級国道36号線接続点夕張郡栗山町、勇払郡安平村1
告示の表記について
「號」や「點(てん)」といった旧字体は新字体に、「一級」を除く漢数字は算用数字に直しました。

認定告示までの過程

概要

岩見沢苫小牧線に関する経緯を箇条書きにします。

  • 旧道路法の下、岩見沢-栗山-安平-苫小牧は国道だった。
  • 現道路法が成立・施行され、一級国道が先行指定されるも、上記区間は指定から漏れた。
  • 二級国道指定が遅れる。
  • 道道に認定。

現在の一般国道234号は、旧道路法では国道28号の一部でした(旧道路法下の北海道内の国道は表1▼を参照)。

しかし、現行の道路法施行後最初の一級国道指定(1952年=昭和27年12月4日の政令477号)の際、このルートは含まれなかったのです。

旧国道をそのままにはできなかったのでしょう。1952年12月16日開会の第4回定例道議会に「北海道の路線の認定に関する件」として、岩見沢苫小牧線の認定を求める議案(第112号)が提出されました。12月23日の土木委員会の審査を経て、12月27日の本会議で原案どおり可決されました。

岩見沢と苫小牧を結ぶ重要ルートにもかかわらず、1953年まで国道や道道でなかったとしたら余りにも不自然です。この時期の認定には、上記の経緯がありました。

1952年末の時点で、二級国道に指定する路線は未決定だったようです。

去る一月末の第五回道路審議会以来三ヵ月余りにわたって審議をつづけ紛糾を重ねた二級国道も、去る五月一日の第十一回道路審議会でようやく指定の答申案をうるに至り翌二日建設省より二級国道指定路線全部が発表された。これによると路線数は百四十本、延長実に一万四千九百二十六粁(引用者注。キロメートル)にわたり北海道十八本、二千七百三十六粁、内地百二十二本、一万二千百九十粁となっている。

『北海道議会時報 第5巻第5号』(北海道議会事務局、1953年5月。24ページ)。引用に際し、旧字・旧かなづかいは、新字・現代かなづかいに直した。
引用者注
「路線数は百四十本」は144本の、「内地百二十二本」は126本の誤り。101号から244号まで指定され、欠番はない。

土木委員会では二級国道認定折衝のため、翌1953年1月に議員3名を東京へ2週間派遣することが決まりました。 また大野村長が「準地方費道函館大野線及び地方費道札幌江差線を二級国道に指定方要望の件」という陳情を提出しています。この陳情は保留扱いとなりましたが、審議会の答申を経て二級国道函館江差線に指定されました。

1953年5月18日の政令第96号で二級国道岩見沢苫小牧線に指定され、翌年廃止されました。実質2カ月弱の短命。とはいえ、必ず国道に指定される保証はなかったゆえ、道道に認定した。そう考えられます。

表1 旧道路法時代の北海道内の国道
番号起点終点経過地備考
4東京都札幌市 宇都宮市、福島市、仙台市、盛岡市、青森市、函館市、森町、長万部町、倶知安町、小樽市 起点は日本橋。終点は北3条西5丁目(道庁赤れんが庁舎正門前)。
27東京都旭川市岩見沢市、滝川町札幌市までは4号と重複。
28東京都旭川市 青森市、(海上)、室蘭市、苫小牧市、安平村、栗山町、岩見沢市青森市までは4号と、岩見沢市からは27号と重複。
補足

旧道路法において、国道の起点はすべて東京市(施行当時)でした。

次の場所を終点に定めています。

  • 神宮
  • 道府県庁所在地
  • 師団司令部所在地
  • 鎮守府所在地
  • 枢要な港

このほか「主として軍事の目的を有する路線」を国道に認定できるとしています。軍事国道とも呼ばれ、起点に関する規定はありません。

旭川市は第七師団司令部があり、国道の終点に選ばれました。