本別町美蘭別を通る居辺本別線が認定された1969年以前にも、美蘭別を経由する道道が存在した。本別士幌線の前身、本別新得線である。本別町へ移管された旧道のうち、東半分は未舗装のまま残っている。
1960年代まで、本別新得線は利別川を渡ると美蘭別川に沿って進み、下美蘭別から上り勾配で高美蘭別(Google マップの3Dビューで見る。環境により、表示に時間がかかります)、下り勾配で押帯へ抜けていた。はるかに平坦な押帯川沿いでなく、押帯台地越えルートを採用した理由は謎である。
美蘭別はアイヌ語の「ピラウンペッ」または「ピランペッ」に由来するとされ、アイヌ語地名研究で著名な山田秀三氏は「崖・ある・川」の意でないかとしている(注1▼)。一帯は美蘭別川上流域の上美蘭別と、下流域の下美蘭別、押帯台地の高美蘭別に大別されるが、これらは正式な地名でなく、町名・地番上はすべて美蘭別である。ちなみに押帯(おしょっぷ)もアイヌ語で、由来は諸説ある。
1976年まで本別町は大字を設けており、美蘭別は負箙(おふいびら)村・本別村・押帯村・勇足村の4大字に属し、小字名も「ビランベツ」であった。大字廃止とともに地番も改正され、大字時代の位置関係把握は難しい。
『北海道地名大辞典』の大字押帯村の項に「昭和44年主要道道本別新得線が当地経由に変更になり、改良舗装工事が実施された」との記述があり、これをほぼ裏付ける告示がある。
区間 変更前後の別 敷地の幅員 延長 国道等との重複区間 中川郡本別町大字勇足村字蓋派第4基線46番の16地先から
中川郡本別町大字勇足村字蓋派49番の1地先まで前1a 10.90m から 14.54m まで 2,257.00m 中川郡本別町大字勇足村字蓋派49番の1地先から
中川郡本別町大字押帯村字ビランベツ北4線82番の1地先まで前1b 10.90m から 21.82m まで 9,000.00m 中川郡本別町大字勇足村字蓋派第4基線46番の16地先から
中川郡本別町大字勇足村字蓋派49番の1地先まで後1a 10.90m から 14.54m まで 2,257.00m 中川郡本別町大字勇足村字蓋派49番の1地先から
中川郡本別町大字押帯村字ビランベツ北4線82番の1地先まで後1b 10.90m から 21.82m まで 9,000.00m 中川郡本別町大字勇足村字蓋派第4基線46番の16地先から
中川郡本別町大字勇足村字蓋派北5線21番の1地先まで後2a 10.90m から 10.90m まで 4,500.00m 中川郡本別町大字勇足村字蓋派北5線21番の1地先から
中川郡本別町大字押帯村字ビランベツ北4線82番の1地先まで後2b 10.90m から 10.90m まで 5,663.00m
1a・1b区域が旧ルート、2a・2b区域が現ルートを表す。
「大字勇足村字蓋派(けなしば)第4基線」が写真I▼のP地点、「大字押帯村字ビランベツ北4線」が同じくN地点▼周辺を指すと考えられる。ただ先に述べたように、正確な位置は特定しかねる点をご了承いただきたい。
押帯や美蘭別は「北○線西×号」で区割りされおり、南北を貫く「北○線」、東西を通す「西×号」、数字は線が西から東へ、号が南から北へ振られていた。区割りは途中から方角を変更している。
写真I・本別町高美蘭別・下美蘭別周辺。赤・黄緑の線は町道へ移管された旧道道、青の線は町道移管後に切り替えられた区間を表す。マーカーをクリックすると、該当地点の情報を表示します。 居辺本別線終点周辺を表示 下美蘭別を拡大 加筆の線を非表示 マーカーを非表示 初期画面へ
本稿では、旧道の未舗装区間を写真でご紹介したい。撮影したツイッターフォロワーさんによれば、路面状態は良好で地元の方に利用されているようだとのこと。
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写真J・1977年9月23日撮影。小中学校グラウンド向いの美蘭別郵便局は、撮影直後の1977年11月1日に廃止。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング・縮小。元画像の縮尺は1万分1。
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写真K・1981年6月24日撮影。画面上部の美蘭別小中学校は、撮影翌年の1982年3月に閉校した。 現在の周辺を航空写真で見る▲国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング。縮尺は2万分1。
居辺本別線認定に向けた動きは、1968年の第2回定例道議会に「本別町と上士幌町を結ぶ本別町道、上士幌町道を道道に認定の件」と題する陳情を本別町長が提出したことに始まる。陳情は翌1969年2月24日、道議会建設委員会で審査の結果採択された。翌25日に開会した第1回定例道議会に議案第46号「北海道道の路線の認定、廃止、及び変更の件」が提出され、居辺本別線も含まれている。実際は、陳情採択以前に道道認定が決まっていたと思われる。
議案は3月31日、原案通り可決された。質問内容を巡って議事が紛糾・空転したため会期は延長され、議案可決が最終日の年度末にずれ込んだ。その影響か、道道の認定・廃止・変更は6月18日に告示された。
陳情から認定へ至る過程で、興味深いエピソードがある。
1968年9月6日に開かれた道議会建設委員会の席上、陳情に関する聴取が行われた。件名が「道道本別新得線本別町地内道路改良工事促進について」、出席者が「本別町道道美蘭別経由存置期成会会長」となっている。本件が道議会で取り上げられたのは、後にも先にも一回だけである。内容は未調査ゆえ伺い知れない。結果として本別新得線は改良され、美蘭別経由の道道も路線名を変えて残った。
下美蘭別-高美蘭別-押帯の旧道に、かつて国鉄バスの路線があった。1971年3月7日現在の国鉄自動車路線名称によると、東十勝線の項に「本別-万栄橋-佐倉(士幌町)」と「美蘭別-上美蘭別」が東十勝本線として記載されている。万栄橋は下美蘭別に架かる橋で(後述)、旧道道をバスが走っていたのは確かだ。廃止は1972年10月9日で、同時に国鉄バスは本別町から撤退している。以上、帯広地区を走ったバス路線 (不毛企画 乗り物館)を参照した。国鉄バスの資料が充実している。
1961年9月発行の『日本国有鉄道監修 時刻表』(日本交通公社)に本別-美蘭別の時刻が掲載されており、本別発が10時15分と16時30分、美蘭別発が7時32分と14時20分で、所要65分・料金90円で結んでいた。ほかに士幌と勇足を結ぶ便があり、士幌発14時30分・勇足発10時05分、所要2時間26分で245円とある。おそらくこの路線が、下美蘭別-高美蘭別-押帯を経由していたのだろう。
区間 変更前後の別 敷地の幅員 延長 国道等との重複区間 中川郡本別町大字勇足村字蓋派第4基線46番の16地先から
中川郡本別町大字勇足村字蓋派49番の1地先まで前1a 10.90m から 14.54m まで 2,257.00m 中川郡本別町大字勇足村字蓋派49番の1地先から
中川郡本別町大字押帯村字ビランベツ北4線82番の1地先まで前1b 10.90m から 21.82m まで 9,000.00m 中川郡本別町大字勇足村字蓋派第4基線46番の16地先から
中川郡本別町大字勇足村字蓋派北5線21番の1地先まで前2a 10.90m から 10.90m まで 4,500.00m 中川郡本別町大字勇足村字蓋派北5線21番の1地先から
中川郡本別町大字押帯村字ビランベツ北4線82番の1地先まで前2b 10.90m から 10.90m まで 5,663.00m 中川郡本別町大字勇足村字蓋派第4基線46番の16地先から
中川郡本別町大字押帯村字ビランベツ北4線82番の1地先まで後2 10.90m から 10.90m まで 10,163.00m
区間 変更前後の別 敷地の幅員 延長 国道等との重複区間 中川郡本別町大字勇足村字ビランベツ北7線86番の4地先から
中川郡本別町大字押帯村字ビランベツ北4線82番の1地先まで前 14.00m から 63.90m まで 3,294.43m 中川郡本別町大字勇足村字ビランベツ北7線86番の4地先から
中川郡本別町大字勇足村字蓋派第4基線46番の1地先まで後 10.90m から 21.00m まで 10,828.25m
認定翌年の、本別町内の区域(ルート)決定告示をみてみたい。
区間 敷地の幅員 延長 国道等との重複区間 中川郡本別町大字勇足村字ビランベツ48番地先から
中川郡本別町大字押帯村字ビランベツ北4線154番地先まで18.00m から 18.00m まで 1,100.00m 中川郡本別町大字押帯村字ビランベツ北4線154番地先から
中川郡本別町大字押帯村字ビランベツ北3線127番1地先まで11.00m から 42.00m まで 3,200.00m 中川郡本別町大字押帯村字ビランベツ北3線127番1地先から
中川郡本別町大字押帯村字ビランベツ北5線126番2地先まで11.00m から 30.00m まで 2,200.00m 中川郡本別町大字押帯村字ビランベツ北5線126番2地先から
中川郡本別町大字勇足村字ビランベツ北6線79番1地先まで10.00m から 18.00m まで 2,485.00m 中川郡本別町大字勇足村字ビランベツ北6線79番1地先から
中川郡本別町大字押帯村字ビランベツ北4線82番1地先まで14.00m から 25.00m まで 2,718.00m
実際の告示は上士幌町内の区間も記載されているが、本稿では省略した。
本別町内の総延長は 11,703m で、当時のルートで延長を計測すると、上美蘭別経由の場合はほぼ一致する。上押帯から押帯へ抜けるルートでは 9km ほどになり、一致しなかった。
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写真L・1969年7月18日撮影。押帯台地と下美蘭別を、つづら折りで結んでいた主要道道。分岐点が道道優先になっている。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング・縮小。元画像の縮尺は2万分1。
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写真M・1994年6月24日撮影。旧道道の下美蘭別側でルートが変更された。かつての分岐点も、居辺本別線優先に変更されている。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング・縮小。縮尺は2万5千分1。
下美蘭別の高美蘭別・上美蘭別方面への分岐点は、1980年前後に現ルートに切り替えたとみられる(写真M・Oを参照)。同時期に切り替えた区間が、分岐点下流で美蘭別川を2度渡る区間だ。橋名は上流側が銀栄橋、下流側が万栄橋で、前述したバス路線の経由地にあたる。
銀栄橋は1981年、橋長 24m・幅員 6.3m で架け換えられた。従って、美蘭別川右岸を通る現ルートの開通はその前と考えられる。分岐点を含め、幅員や線形は大幅に改善された。下流の万栄橋は2001年に架け換えている。
銀栄橋は2014年6月から通行止めになった。川底の地盤が水流で削られ(河床洗掘という)、橋台の土台が不安定になったためである。同月13日10時頃、橋に接続する道路が陥没しているのを、用水事業に携わる測量業者が発見した。橋の上部が浮いたような状態になって崩落の危険が生じ、もし崩落した場合は川の流れを阻害し氾濫しかねない。
本別町は同年8月11日に開かれた第4回臨時町議会で、銀栄橋上部撤去予算450万円を計上した。2015年度から総事業費1億5,400万円で架け換えを行っている。工事に伴い、道道交点の地番が変更された。
区間 変更前後の別 敷地の幅員 延長 国道等との重複区間 中川郡本別町美蘭別180番1地先から
中川郡本別町美蘭別79番5地先まで前1 10.90m から 10.90m まで 1,840.00m 同上 後1 10.90m から 55.50m まで 1,859.00m 同上 後2 17.00m から 55.50m まで 1,800.29m
区間 変更前後の別 敷地の幅員 延長 国道等との重複区間 中川郡本別町美蘭別180番1地先から
中川郡本別町美蘭別79番5地先まで前1 10.90m から 10.90m まで 1,859.00m 同上 前2 17.00m から 55.50m まで 1,800.29m 同上 後2 17.00m から 55.50m まで 1,800.29m
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写真N・1977年9月23日撮影。現ルートは森や農地となっていて、万栄橋たもとに家屋があった。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング・縮小。元画像の縮尺は1万分1。
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写真O・1994年6月24日撮影。旧道道の下美蘭別側でルートが変更された。かつての分岐点も、居辺本別線優先に変更されている。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング。縮尺は2万分1。
本別町美蘭別にまつわる道道のルート変更を、3回に分けて振り返ってみた。
美蘭別以外にも、1970年代~2000年代に居辺本別線のルートは変更されている。1992年には起点が、上士幌町居辺東7線41号の上士幌音更線交点から、一般国道241号交点へ延長された。本別士幌線も2000年代に、本別町押帯で押帯川右岸の斜面を通るルートが建設された。
快適に通り抜けできる道路は、幾度にもわたる改良の賜物だ。道内至る所、記憶から忘れ去られようとしている旧道・廃道が存在する。本稿はその一部に過ぎない。