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写真ホ。中頓別町と旧歌登町の境界にある毛登別峠(縮小表示)。線形に険しさがうかがえる。
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写真C・1977年10月20日撮影。写真ホ▲の約30年後。一部が道路に転用されたほか、わずかに痕跡が見える。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング・合成・縮小。元画像の縮尺は1万5千分1。
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写真ヘ。写真ホ▲の一部を2倍に拡大。急カーブ・急勾配で峠を越える。
今回の記事を書くまで、旧線は長屋の沢を渡った後は南東へ向きを変え、峠を越えていたと予想していましたが、筆者の見当違いでした。なぜ見当違いなのかは、次ページに書いています。
実際のルートは、左へカーブして長屋の沢沿いに北上し、360度向きを変える急カーブを描きながら勾配を登ります。山すそに沿ってカーブしながら峠を越え、写真を見る限りでは下る途中にも急勾配が介在していたようです。脆弱な路盤と軌道に急坂という条件が重なり、暴走事故が起きたものと考えられます。
興浜北線が休止していた頃は、この細き峠路が天北線と枝幸を結ぶ大動脈だったのです(注1▼)。