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写真イ。小頓別駅周辺(25%に縮小)。駅構内に積まれているのは木材だろうか。
小頓別を出た軌道は、最初の踏切で新旧ルートに分かれます。右へカーブする新ルートに対し、旧線跡は天北線(当時は北見線。以下「天北線」と表記)。に沿って左へカーブします。
小頓別は市街地が二分されており、学校があった西側を旧市街、駅前より東側が新市街と呼ばれています。
話は本筋から外れますが、筆者は1976年から1977年にかけて、小頓別小学校に在籍しておりました。集落の西端、国道の近くにあります。真冬に氷点下30℃くらいまで冷えようとも、たとえ猛吹雪に見舞われようとも、休校になりませんでした。教室の暖房は石炭ストーブを使用しており、用務員住宅はは廊下を通して学校とつながっていました。
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写真ロ。頓別川を渡る鉄橋跡と踏切跡。現在の一般国道275号と並行していた。
当時の国道は「地方費道旭川稚内線」という名称でした。地方費道とは、旧道路法における府県道と同格です。写真ロで天北線の右窓に広がる森林の一部が、国鉄の所有だったのは隠れた事実です。防風林的役割を担っていたのかもしれません。
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写真ハ。写真ロから踏切跡を拡大。川を渡る橋は撤去されている。
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写真ニ。写真ロ▲の続き(20%に縮小)。右カーブする旧線跡に並行する川が長屋の沢である。
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写真B・1977年9月25日撮影。写真ニ▲の約30年後。旧線跡の一部は道路に転用されている。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング・縮小。元画像の縮尺は1万5千分1。
写真Aの左上端で長屋の沢を渡る国道の篠田橋(まいまいとぐるり 橋巡り~より)の銘版には、「長屋沢川」と表記されています。