起点のハッキリしない道道に、豊富遠別線があります。豊富町に単独区間がないからです。
にもかかわらず、路線名に「豊富」を冠するのが不思議でした。実延長の始まりは幌延町の幌延市街地・稚内幌延線交点で、豊富町から離れています。
しかし路線名に「豊富」が入るからには、豊富町に起点があったはずだ。そう思いつつ、手がかりが全然つかめませんでした。
このほど入手した、1970年2月10日発行『北海道道路粁程表』付属の留萌支庁と宗谷支庁の管内図に、豊富遠別線の旧道が描かれていました。これを基に、ルートの歴史を探ってみましょう。
図1。豊富温泉から幌延町中心部までの地図。赤い線・青い線は豊富遠別線の旧道を、紫の線は同線の一部だった可能性が高い区間を表す。マーカーをクリックすると、該当地点の情報を表示します。 豊富温泉を拡大 幌延市街を拡大 初期画面へ
まず、起点変更の経緯を表にします。
| 西暦 | できごと |
|---|---|
| 1957年 | 3月30日、豊富遠別線認定。当初の起点は、図1のE地点と想定される。 |
| 1965年 | 豊富浜頓別線の新ルート開通に伴い(告示は7月10日)、起点をD地点に変更か。 |
| 1969年 | 10月までに、実延長の起点をC地点へ変更(赤い線のルートは降格)。 |
| 1974年 | 新道開通。5月31日、旧道降格(青い線)。 |
| 1982年 | 9月30日、C地点からB地点までが主要道道稚内幌延線に昇格(同線の重複区間となる)。実延長の起点はB地点へ。 |
| 1991年 | 5月17日、幌延市街地西側を経由する町道を編入。実延長の起点をA地点へ変更。 |
図1の赤と青の線で示した、豊富温泉から下エベコロベツ左川に沿って幌延町字北進に至り、熊越峠(注1▼)を経由し幌延市街へ抜ける林道こそが、豊富遠別線の旧道だったのです(図2~図5▼の地形図も参照)。
認定当時は、豊富温泉から下エベコロベツ川に沿って遡る道がありません(図2)。東方にある日曹炭鉱(注2▼)へは、専用鉄道(注3▼)沿いの登竜峠(注4▼)越えの道、現在の主要道道豊富浜頓別線の旧ルートを行くしかありませんでした。調査が不充分のため推測ですけれども、ガス発電所跡(注5▼)に近い温泉入口の分岐点が、起点であろうと見ています。
豊富温泉から直接日曹へ抜ける道が開通したのは1965年ころであるらしく(注6▼)、その時点で豊富遠別線の起点は温泉街の分岐点へ移動したと考えられます。
幌延町字北進にあり、1972年に廃校となった南沢小学校の記念誌で、1960年度の卒業生が「冬になると道がないのでスキーで通いました
」と述懐しています。旧ルートは積雪寒冷特別地域における道路交通の確保に関する特別措置法(雪寒法)に指定されておらず、冬期はクルマの通行が不可能だったのでしょう。
区間 変更前後別 敷地の幅員 延長 天塩郡豊富町字上サロベツ1201番から
天塩郡豊富町字下エベコロベツ(国有林地)まで前 7.27m ~ 10.91m 11.982km 同上 後 6.40m ~ 50.00m 11.290km
区間 供用開始の期日 天塩郡豊富町字上サロベツ1201番から
天塩郡豊富町字下エベコロベツ(国有林地)まで昭和40年7月11日
豊富温泉に起点があった事実を物語る数値が、当時の道路現況調書に残っています。
複数の建設管理部(旧土木現業所)にまたがる道道は、建設管理部別の延長内訳を別掲します。豊富町と幌延町は、稚内建設管理部と留萌建設管理部の管轄界にあたります。1970年4月1日現在の発行分まで、この旧土現別延長内訳に豊富遠別線が含まれていました。なお2010年4月の支庁再編により、建設管理部の管轄界は幌延町と天塩町に移動しました。したがって、複数の建設管理部にまたがる道道へ復活したことになります。
| 項目\土現 | 稚内 | 留萌 | 合計 | ||
|---|---|---|---|---|---|
| 総延長 | 2,907 | 64,431 | 67,338 | ||
| 重用延長 | 7 | 6,381 | 6,388 | ||
| 実延長 | 2,900 | 58,050 | 60,950 | ||
| 実 延 長 の 内 訳 | 舗装 | 992 | 992 | ||
| 砂利 | 2,900 | 57,058 | 59,958 | ||
| 改良済 | 8,297 | 8,297 | |||
| 未改良 | 2,900 | 49,753 | 52,653 | ||
| 改 良 済 幅 員 | 9.0m以上 | 343 | 343 | ||
| 7.5m以上 | 36 | 36 | |||
| 5.5m以上 | 5,040 | 5,040 | |||
| 4.5m以上 | 1,870 | 1,870 | |||
| 4.5m未満 | 988 | 988 | |||
| 未 改 良 幅 員 | 5.5m以上 | 2,066 | 2,066 | ||
| 4.5m以上 | 1,245 | 6,421 | 7,666 | ||
| 3.5m以上 | 4 | 41,212 | 41,216 | ||
| 2.5m以上 | 1,651 | 54 | 1,705 | ||
もっとも、前年の10月16日に図1▲のC地点から幌延市街までの区域=ルートを決定した告示 があります(下表)。したがって、1969年10月の時点で赤い線のルートが切り替わっていたとみられます。当時は熊越峠の新ルートを着工したばかりで、新旧ルートが入り混じっていました。
区間 敷地の幅員 延長 国道等との重複区間 天塩郡幌延町字北進115番の1地先から
天塩郡幌延町字北進358番の1地先(防風林)まで16.00m から 32.00m まで 4,431.47m 天塩郡幌延町字北進358番の1地先(防風林)から
天塩郡幌延町字幌延10番地先まで10.91m から 10.91m まで 4,231.62m 天塩郡幌延町字幌延10番地先から
天塩郡幌延町元町12番地先まで10.91m から 14.54m まで 871.19m
問題は告示の題名が「道路の区域の決定」とある点で、まず旧ルートの区域を決定し、現ルートに変更するという手順を略しました。豊富温泉の旧道に関する告示はゼロで、起点を分かりにくくさせた一因です。
熊越峠の新ルートは1973年に開通し、1982年には図1▲のC地点からB地点までが主要道道稚内幌延線に昇格、豊富遠別線は同線の重複区間になりました。その後、1991年に幌延町役場から市街地西部を回る町道が昇格し、現在に至ります。
一連の経緯から、起点はC地点(幌延町字北進)になるのでしょう。それでも豊富遠別線の起点は、今も豊富町のどこかにあると思いたいのです。
区間 変更前後の別 敷地の幅員 延長 国道等との重複区間 天塩郡幌延町字北進358番の1地先(防風林)から
天塩郡幌延町6条北1丁目5番地先まで前1 10.91m から 10.91m まで 4,291.68m 天塩郡幌延町字幌延10番の1地先から
天塩郡幌延町6条北1丁目5番地先まで前2 10.91m から 10.91m まで 300.00m 天塩郡幌延町字北進435番の4地先から
天塩郡幌延町6条北1丁目5番地先まで後2 15.00m から 109.20m まで 3,243.00m
区間 変更前後の別 敷地の幅員 延長 国道等との重複区間 天塩郡幌延町字幌延106番1地先から
天塩郡幌延町元町6番3地先(河川敷地)まで前 10.91m から 33.00m まで 1,291.40m 道道稚内幌延線重複 L = 1,236.10m 同上 後 7.60m から 25.00m まで 1,939.60m 道道稚内幌延線重複 L = 349.00m