南幌町・清幌橋

夕張川に架かる清幌橋は橋長が 692m で、岩見沢市栗沢町と南幌町を結ぶ栗沢南幌線最大の構造物である。現在に至る経緯を振り返ってみたい。

初代清幌橋

清幌橋架設は、夕張川の新水路建設と切り離せない関係にある。

夕張川は元々、南幌町と長沼町の境界に沿って南西方向へ流れ、北広島市中心部近くで千歳川と合流、江別川となって北上し石狩川に合流する、遠回りの流路であった。夕張川は流れが早く、大雨が降ると流域は氾濫した。また合流後の江別川は川幅が狭く、増水すると逆流し、恵庭まで被害が及んだ。また石狩平野は泥炭地ゆえ、水が引くまで日数を要した。

度重なる水害を解消するための調査が1910(明治43)年に始まり、夕張川を直に石狩川へ流す水路が計画された。1921(大正11)年に着工したものの、軟弱な地盤や経済不況もあり工事は遅々として進まず、通水を迎えたのは1936(昭和11)年8月である。新水路完成で従来の水路は旧夕張川となり、江別川は千歳川の一部となった。

夕張川新水路は、2011年度に土木学会選奨土木遺産の認定を受けている。

新水路建設に際し、次の橋梁が架けられた。

  • 江別大橋(国道27号=当時、橋長 523m、幅員 7.5m、単純桁・ゲルバー桁鋼橋、1935年完成、1980年解体)
  • 夕張川鉄道橋(函館本線、橋長約 600m)
  • 清幌橋(準地方費道36号岩見沢幌向線=当時、橋長 529m、幅員 5.5m、単純桁・ゲルバー桁鋼橋、1935年完成、2010年解体)

清幌橋架設は国の事業の一環であり、立派な橋梁が完成した。しかし道路の格が低いからか、左岸側 160m が戦時供出で解体され、復旧は1961年まで待たなければならなかった。

※注
南幌町は開村当初は幌向村と称し、1962年5月1日の町制施行時に南幌町(みなみほろちょう)と改め、1968年4月1日より読み方を現在の「なんぽろちょう」に変更した。本稿は便宜上、南幌町で統一する。
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国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真A・1947年9月10日撮影。清幌橋の夕張川左岸側は、鋼材供出のため撤去されていた。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミングし、角度を補正。縮尺は3万480分1。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真B・1962年6月13日撮影。夕張川左岸側が復元されて間もない頃。橋から堤防まで、旧道の痕跡が残っている。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング、約64%に縮小し、角度を補正。縮尺は2万分1。
2万5千分の1地形図「栗沢」(平成7年修正測量)と2万5千分の1地形図「長沼」(平成7年修正測量)と。約1.5倍に拡大。
図1。初代清幌橋は70年余りの間、旧栗沢町と南幌町を結んできた。夕張川河川敷は公園やゴルフ場に利用されている。右下で南下する流れが旧夕張川。地区名の「三重」は三重県からの移民が多いことにちなみ、「青葉」は宮城県角田からの移民が多く、仙台の青葉城にちなむ。2万5千分1地形図「栗沢」(1995年修正測量)と2万5千分1地形図「長沼」(1995年修正測量)を約1.5倍に拡大。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真C・1985年9月11日撮影。初代清幌橋のたもと、図1の 19.1m 三角点がある場所に、新水路建設工事従事者の心の拠り所として、平取神社から分霊する形で義経神社が建立された。1939(昭和14)年、技師として新水路に向けた調査を行い、完成に尽力した元札幌治水事務所長・保原元二(1883-1968)の銅像が建てられた。南幌町は7月1日を「治水感謝の日」に定め、義経神社で感謝祭を行ったという。現・清幌橋建設に伴って義経神社は南幌神社に合祀され、銅像は近くの三重緑地公園に移されている。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング。縮尺は1万分1。

三重緑地公園に移設された保原元二の銅像。三重緑地公園は三重湖の北、三角形の敷地にある。

架け替え

架け替え工事は2002年度から始まった。主な要因は次のとおりである。

  • 老朽化が進んでいる。
  • 屈曲部を直線化する。
  • 歩道を設置し、歩行者や自転車の安全な通行を確保する。

栗沢から進むと、右カーブで夕張川右岸の堤防に上がり、T字路を左折、清幌橋を渡って堤防上で右カーブして勾配を下りる線形になっていた。橋が水路と直角に架けられたのは、距離が短くて済む点が大きい。時代の経過により、特に冬期の安全通行の妨げとなっていた。

橋梁本体は2008年12月に完成、供用開始は2009年11月21日である。前後して、橋へアプローチする築堤部分の道路改築、両岸堤防上の道路取付工事、迂回路廃止や旧橋の解体工事が実施された。

現・清幌橋の諸元は橋長 692m、幅員が車道 8.5m+歩道 3.5m、3径間連続鈑桁+3径間連続鋼床版箱桁+3径間連続鈑桁である。歩道は栗沢方向車線側に設置された。

国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真D・2003年11月2日撮影。切り替え工事に着手する前。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミングし、約70%に縮小。縮尺は2万分1。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真E・2004年9月12日撮影。夕張川右岸側では下部工事に着手、迂回路が完成している。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング。縮尺は3万分1。

道道栗沢南幌線の告示(1)

2002年12月27日北海道告示第2049号(道路の区域の変更)
区間変更前後の別敷地の幅員延長国道等との重複区間
空知郡栗沢町字岐阜167番1地先から
空知郡南幌町3040番4地先まで
前16.50m から 23.50m まで1,532.22m
同上後16.50m から 23.50m まで1,532.22m
同上後213.00m から 130.00m まで1,245.00m
告示注
  • 1の区域が旧道、2の区域が現道です。
2003年12月19日北海道告示第2158号(道路の区域の変更)
区間変更前後の別敷地の幅員延長国道等との重複区間
空知郡栗沢町字岐阜164番5地先から
空知郡南幌町3040番4地先まで
前16.50m から 23.50m まで1,596.15m
同上前213.00m から 130.00m まで1,308.93m
同上後16.50m から 23.50m まで1,596.15m
同上後213.00m から 130.00m まで1,308.93m
同上後36.50m から 54.00m まで1,564.95m
告示注
  • 3の区域が迂回路とみられます。
  • 告示原文は、区間終点が「空知郡栗沢町字岐阜3040番4地先まで」となっています。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真F・2007年5月21日撮影。夕張川左岸側も下部工事が進む。なお上部工事終了時点で、迂回路の右岸側は岩見沢市・南幌町境界から分岐するよう線形が変更され、左岸側にも迂回路が設けられた。その際、旧橋の左岸側は一部解体された可能性がある。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミングし、約29%に縮小。縮尺は1万分1。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真G・2017年6月12日撮影。直線で貫く二代目清幌橋。上部工事終了時点で迂回路の一部、水路が通る岩見沢市・南幌町境界より東側は農地に還っていた。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミングし、約24%に縮小。縮尺は1万分1。
写真1。2021年4月3日、南幌町にて天羽ミズホさん撮影。
写真1。旧道となった南幌町道夕張川堤防線に、道道栗沢南幌線の標識が残っている。前方の左カーブは切り替え工事の迂回路を流用し、現ルートに接続する上り勾配と右カーブを新たに取り付けたようだ。迂回路は、そのまま左へカーブしながら築堤を下ったと考えられる。2021年4月3日、天羽ミズホさん撮影。撮影地 空知郡南幌町南13線西1号

道道栗沢南幌線の告示(2)

2004年8月3日北海道告示第706号(道路の供用の開始)
区間供用開始の期日
空知郡栗沢町字岐阜164番5地先から
空知郡南幌町字幌向原野920番48地先まで
平成16年9月1日
2009年11月20日北海道告示第770号(道路の供用の開始)
区間供用開始の期日
岩見沢市栗沢町岐阜167番1地先から
空知郡南幌町3040番4地先まで
平成21年11月21日午後1時
告示注
  • 2004年は迂回路の使用開始日を決めた告示と思われます。2009年は現・清幌橋が開通した告示です。
  • 夕張川右岸側を通る旧道は、2011年度に町道夕張川堤防線へ移管されました。旧T字路の先は江別市の一般国道12号に通じており、路線名は南幌町内が町道西1号、江別市内が市道豊幌西1号道路です。
  • なお、迂回路や初代清幌橋の区域を廃止した告示は発見できておりません。

供用廃止後の旧清幌橋と解体

初代清幌橋の解体は、2009・2010年度に実施された。本稿公開時点で、ひと昔前のできごとになる。

2009年度に迂回路の切り替え・土壌復元と取付道路工事、旧橋のうち道路と接続する部分の解体を行い、2010年度に残った旧橋を解体したようだ。

写真5・6・10は夕張川の右岸から、写真2~4・7~9・11は左岸から、消えゆく過程を撮影した貴重な記録である。

写真2。2010年5月2日、南幌町にてササさん撮影。
写真2。舗装が真新しい。二代目の橋開通で安全性が向上した。2010年5月2日、ササさん撮影。撮影地 空知郡南幌町南13線西2号
写真3。2010年5月2日、南幌町にてササさん撮影。
写真3。河川敷に工事用道路が造られてある。2010年5月2日、ササさん撮影。撮影地 空知郡南幌町南13線西2号
写真4。2010年5月2日、南幌町にてササさん撮影。
写真4。初代清幌橋を見上げる。構造がうかがえる。2010年5月2日、ササさん撮影。撮影地 空知郡南幌町南13線西2号
写真5。2010年10月4日、南幌町にてKOBAN2さん撮影。
写真5。夕張川右岸側から見る。新旧清幌橋が並ぶ光景。役割を終えた旧橋が、小雨に打たれながら佇んでいる。2010年10月4日、KOBAN2さん撮影。撮影地 空知郡南幌町南13線西1号
写真6。2010年10月4日、南幌町にてKOBAN2さん撮影。
写真6。70年以上の風雪に耐え抜いた初代清幌橋。2010年10月4日、KOBAN2さん撮影。撮影地 空知郡南幌町南13線西1号
写真7。2010年11月21日、南幌町にてKOBAN2さん撮影。
写真7。夕張川左岸側に立つ工事標識。工期は2011年3月30日まで。2010年11月21日、KOBAN2さん撮影。撮影地 空知郡南幌町南13線西2号
写真8。2010年11月21日、南幌町にてKOBAN2さん撮影。
写真8。初代清幌橋の解体は両岸から進められた。2010年11月21日、KOBAN2さん撮影。撮影地 空知郡南幌町南13線西2号
写真9。2010年11月21日、南幌町にてKOBAN2さん撮影。
写真9。夕張川を渡る部分の上部床版は、住友重機械建機クレーン製のクローラークレーンに、長さ 60m のラフィングジブを取り付けて撤去した。道内初の現場使用である。2010年11月21日、KOBAN2さん撮影。撮影地 空知郡南幌町南13線西2号
写真10。2011年5月23日、南幌町にてササさん撮影。
写真10。初代清幌橋の鋼材が積み上げられていた。迂回路の線形が残っている。2011年5月23日、ササさん撮影。撮影地 空知郡南幌町南13線西1号
写真11。2011年5月23日、南幌町にてササさん撮影。
写真11。工事が完了し、更地になった。2011年5月23日、ササさん撮影。撮影地 空知郡南幌町南13線西2号(なんぽろリバーサイド公園)
参考文献
  • 「川と人」(石狩川振興財団。vol.32 2008年および vol.35 2012年)
  • 「石狩川治水の係わる主な事業」(北海道開発局)
  • 「石狩川100話 悲願の夕張川新水路」(北海道開発局)
  • 『建設グラフ2009年11月号 「土木の最前線から」~札幌土木現業所編』(自治タイムス社)
  • 『北海道における鋼道路橋の歴史(資料編)』(北海道土木技術開鋼道路橋研究委員会。1982年12月)
  • 『北海道建設新聞』(2010年12月28日付)
  • 「保原元二 〜水害の地を豊穣の地へ。夕張川に挑む〜」(草野作工株式会社)
  • 空知地方史研究協議会 平成16年度総会
  • 新清幌橋開通: sasayan気ままに。。。(2009年11月21日)
  • 清幌橋: 思ったことを気ままに(2009年12月8日)
  • 『広報なんぽろ』(2014年7月号)
  • ほか、南幌町議会の会議録を参照しました。