前編では鉄道廃止前の経緯に触れました。その後の経過を記述します。
浜頓別市街はJR天北線によって分断されてきました。市街地の東西を結ぶ道路は、一般国道275号のほか町道1本のみでした。
1989年5月1日の天北線廃止後、廃線跡の再開発と道路網の再編を図るため、浜頓別町は1992年に都市計画道路を策定します。
関連して実施されたのが、開発局による一般国道275号のルート変更と、道による豊富浜頓別線のルート・終点変更でした。
天北線と興浜北線を一度にまたぐ橋の完成は1969年10月15日、橋長 143.0m・幅員 11.3m です。完成以前は、跨線橋の下に位置する踏切で交差していました。
同年に天北線浜頓別駅が新築され、山軽駅が無人化されました。また初めて、浜頓別市街の町道が一部舗装されました。
広田尚敬著『蒸気機関車たち』(ネコ・パブリッシング刊)の97ページに、1974年に撮影された浜頓別跨線橋の一部分が掲載されています。
「浜頓別道路」とは国道の事業名です。
旧浜頓別駅付近まで直進し、右折して大通を進むルートへ改良しました。道立上川農業試験場天北支場から浜頓別高校にかけての既存区間では、音威子府に向かう車線を拡幅し、歩道・街灯を設置しました。浜頓別跨線橋は解体されました。
該当する告示とその内容を表にまとめました。すべて建設省告示です。
| 年月日 | 告示番号 | 事業内容 |
|---|---|---|
| 1995年5月31日 | 第1208号 | 新ルートが国道に編入される。一部は浜頓別町道中央大通線と重複。 |
| 1997年10月6日 | 第1765号 | 跨線橋解体工事のため、町道緑ケ丘線を利用した仮道設置。 |
| 1997年10月6日 | 第1766号 | 跨線橋接続部分を除き、新ルートを供用開始。 |
| 1998年4月1日 | 第1091号 | 跨線橋の解体終了。残る旧ルートは町道へ移管。新ルートの全面供用開始。仮道廃止。 |
旧跨線橋の下から町立図書館までの廃線跡は、浜頓別町アメニティ公園として整備され、1999年より供用開始しました。変貌は劇的で、15年ぶりに現地を訪ねた筆者は目を疑いました。新ルート沿いのセイコーマート前を通りかかったおばあさんに尋ねてみると、写真5の付近に跨線橋があったという話でした。
「白鳥大通」とは都市計画道路名で、クッチャロ湖畔へ通じるT字路交差点から豊富浜頓別線終点までがその一部です。なお一般国道275号浜頓別道路のうち、右折する交差点までは「天北大通」、現ルート供用に伴い移管された豊富浜頓別線の旧道は「ラムサール通」(注1▼)の都市計画道路名が付いています。
道道のルート変更は、浜頓別町の要望によるものです。
町道中央大通線と同クッチャロ湖3号線の一部が、1994年12月2日の北海道告示第1794号により道道へ編入されます。本格着工は1997年です。狭くて曲線があった町道中央大通線=白鳥大通を拡幅・直線化するとともに、クッチャロ湖畔と緑ケ丘6丁目の境界上に道路を新設しました。新ルートの全面供用開始は2001年10月3日(注2▼)、同年10月26日より終点を切り替えています。道道と国道の交点付近には、浜頓別町役場が新築移転しました。
浜頓別町の都市計画では市街地を外周する環状線が計画されており、一部開通しています。
一般国道275号と豊富浜頓別線のルート変更等により、浜頓別市街の東西の行き来は格段に向上しました。浜頓別町アメニティ公園が造成され、周囲の景観は見違えるようです。と同時にこれら事業は、浜頓別市街地から鉄道の面影を消し去ることでもあったのです。
区間 枝幸郡浜頓別町字頓別154番7から
同町字頓別154番200まで変更前後別 敷地の幅員 延長 前A 12.00m ~ 73.50m 0.595km 前B 20.00m ~ 58.00m 0.668km 後B 20.00m ~ 58.00m 0.668km 備考 上記A及びBは、関係図面に表示する敷地の区分をいう。
区間 変更前後の別 敷地の幅員 延長 国道等との重複区間 枝幸郡浜頓別町字頓別154番2地先から
枝幸郡浜頓別町字頓別154番771地先(一般国道275号交点)まで前1 23.00m から 58.00m まで 826.14m 一般国道275号重複 L = 12.00m 枝幸郡浜頓別町字頓別154番2地先から
枝幸郡浜頓別町字頓別154番1893地先(一般国道275号交点)まで前2 20.00m から 77.50m まで 1,491.22m 一般国道275号重複 L = 22.50m 同上 後2 20.00m から 77.50m まで 1,491.22m 一般国道275号重複 L = 22.50m