図3・伊文政和線のルート。重複・未供用区間はA地点からC地点まで。認定時はD地点から通行できたようだ。マーカーをクリックすると、該当地点の情報を表示します。 供用区間を拡大 初期画面を表示
政和地区の入植は、1911(明治44)年より始まります。雨竜川右岸は皇室の財産で、入植者に貸付されました。北大演習林の左岸も同時期に入植が始まり、同じく貸付されました。
入植者たちは、現在の士別市温根別町から峠越えで添牛内へ入り、政和まで南下しました。その先、雨竜川の谷が狭まる雨煙別の間は道路が開削されておらず、舟運もありません。雨煙別への渡し船は1918(大正7)年ころの開設とされ、道路が通じたのは1925(大正14)年です。これに先駆けて開かれたのが、雨竜川に橋を架けて伊文へ山越えする道路でした。
道路の歴史は、1920(大正9)年の村道認定に始まります。
現地調査ののち北海道庁の事業として1922(大正11)年着工、同年11月に完成しました。山越えの伊文地区は当時剣淵村に属し、1927(昭和2)年10月1日より温根別村として分離します。1954年7月1日に士別市と合併しました。
1931(昭和6)年9月15日に深名線政和駅が開業すると、山道の利用者はいなくなって廃道と化し、長い月日が経過します。
昇格前の路線名は「政和犬牛別線」でした。
1967年2月開会の道議会に、幌加内町長は政和犬牛別線道道昇格を請願します。だが、1971年2月開会の議会まで継続審議とされた末、採択に至りませんでした。
1975年、幌加内町は「過疎地域振興五ヶ年計画」に、政和犬牛別線の早期着工実現を盛り込みます。1977年3月、当時の幌加内町長は政和犬牛別線の道道昇格について、強力な運動を展開すると執行方針の中で述べています。同年6月の町議会で、政和犬牛別線の測量を補正予算に組み込みます。これを受け、8月に図3▲のD地点から士別市境界までの測量が実施されました。
12月9日開会の第4回定例道議会に、伊文政和線を含む道道の認定と廃止の議案が提出され、12月22日に可決されました。認定は1978年5月6日です。
政和の行き止まりから起点までのルートは、おおよそ次のとおり。1と2は幌加内町、3以降は士別市。
かつての地形図では、ルートが点線で描かれています。表題に「点線道道」の文字を入れた所以です。
しかし、実際に踏破できるかは不明です。少なくとも、ネット上で記録を見たことはありません。
現地へ立ち入る行為は、生命にかかわります。安易な気持ちで踏破を試みるのは、極めて危険です。
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写真C・2011年6月21日撮影。温根別ダムからマムシノ沢川右岸へ林道が通っている。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング。縮尺は2万分1。
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写真D・1978年9月12日撮影。温根別ダムは建設中。マムシノ沢川左岸に沿う道が見える。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミングし、81%に縮小。元画像の縮尺は1万5千分1。
政和橋から終点までの区間は、780m の路盤を改良し、舗装しました。工事期間は1983年~1985年です。
「未供用部分の整備を道に要望してきたが難しい状況にある
」と『新幌加内町史』は書いています。伊文政和線の優先度は低いと見なされたのでしょう。
区間 敷地の幅員 延長 国道等との重複区間 士別市温根別町伊文1線(国有地)地先から
士別市温根別町伊文1線(国有地)地先まで10.90m から 19.00m まで 500.00m 道道雨竜旭川線重複 L = 500.00m 士別市温根別町伊文国有林士別事業区84林班に小班地先から
雨竜郡幌加内町字政和北海道大学演習林107林班地先まで14.54m から 24.00m まで 6,234.42m 未開削区間 雨竜郡幌加内町字政和北海道大学演習林107林班地先から
雨竜郡幌加内町字添牛内地先(日本国有鉄道敷地・一般国道275号交点)まで4.18m から 17.00m まで 2,877.18m 一般国道275号重複 L = 8.50m
伊文・政和線は町道を道に移管のための測量調査を町費で行う計画であ」ると表明した。図3のD地点からB地点までの測量は、同年10月と1980年8月の2度に分けて実施された。なお士別市側の測量は市の費用によって、1980年2月に実施されている。
区間 供用開始の期日 雨竜郡幌加内町字政和北海道大学演習林107林班地先から
雨竜郡幌加内町字添牛内地先(日本国有鉄道敷地・一般国道275号交点)まで昭和56年6月15日