橋名 | ふりがな | 橋長 | 完成 | 仮称 |
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水精橋 | すいせいばし | 101.2m | 1976年 | 漁川4号橋 |
木精橋 | もくせいばし | 235.8m | 1978年度架設 | 漁川3号橋 |
金精橋 | きんせいばし | 53.3m | 1977年度架設 | 漁川2号橋 |
土精橋 | どせいばし | 128.0m | 1976年度架設 | 漁川1号橋 |
恵庭岳公園線が主要道道へ昇格したのは1982年で、それまでは光竜鉱山恵庭停車場線という路線名でした。
一般道道時代に行われた最大のルート変更は、漁川ダム(えにわ湖)建設に伴う切り替えです。
千歳川治水対策の一環として、支流の漁川(いざりがわ)上流にダムを建設する計画は、1952(昭和27)から1957(昭和32)年にかけて地質調査を実施したのが始まりです。このときは、工事費や地盤の問題から工事が見送られます。その後1962(昭和37)年から1973(昭和48)年まで再調査を行い、ダムの用途と規模を調整することで諸問題の解決にメドが立ち、1974(昭和49)年に着工されました。
ダム本体の工事に先立ち、光竜鉱山恵庭停車場線の付け替え工事が行われます。
周辺の森林は水源かん養保安林に指定されていました。道路・ダム建設のため、1974年から1979年の間に、約 78 ヘクタールの指定が解除されています。
工事は開発局が担当しました。下流部を先行して施工し、土精橋手前から東側が1975年10月より供用を開始します。この際、新ルートと旧道を連絡する仮道を設置しました(写真A)。引き続き建設された上流部は、落石・雪崩対策として延長96m と 380mの覆道を設けています。
漁川ダムは1980年4月7日より試験湛水を始め、同年5月8日に竣工式を挙行しました。旧道道の一部は、ダム下流の駐車場・桜公園へのアクセス路として活用されています。
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写真A・1976年10月5日撮影。漁川ダム建設現場。現道道は土精橋まで完成しており、その下を仮道が通っている。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング・66.7%に縮小。元画像の縮尺は1万5千分1。
目的 | 水力発電・洪水調節・水道供給 |
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堤高 | 45.5m(ロックフィルダム) |
水道 | 恵庭・千歳・北広島・江別へ供給 |
総貯水量 | 1,530万立方メートル |
総事業費 | 162億円(着工当初見込み93億円) |
区間 変更前後の別 敷地の幅員 延長 国道等との重複区間 恵庭市盤尻国有林恵庭事業区4林班は小班地先から
恵庭市盤尻国有林恵庭事業区176林班は小班地先まで前 7.50m から 17.00m まで 2,847.37m 同上 後 7.50m から 97.00m まで 3,765.31m
区間 変更前後の別 敷地の幅員 延長 国道等との重複区間 恵庭市盤尻国有林恵庭事業区69林班ろ小班地先から
恵庭市盤尻国有林恵庭事業区174林班は小班地先まで前 8.00m から 97.00m まで 4,139.31m 同上 後 11.20m から 95.50m まで 3,177.00m
光竜鉱山恵庭停車場線に接続する林道も、付け替え工事が実施されました。白扇の滝へ至るラルマナイ林道も 630m が対象となり、ラルマナイ側左岸から右岸へルートを変更しました。施工は1978年です。
図8と図9を見比べると、林道だけでなくラルマナイ川の流路も変わっています。同時に工事した可能性も考えられますが、詳細は不明です。地形図通りだと、旧河川の上に道路を造った区間もあります。
ラルマナイ川に架かる橋を渡って漁川左岸を下る道は、旧道道です。この道路は、堆積した土砂をダムから取り除き、それを運搬するダンプカーが頻繁に行きかうため、立ち入りできませんでした(写真20)。旧道道の橋は、水精橋東の覆道からよく見えます。
ラルマナイ川沿いの道は、20年の間に2度も切り替えたのです。