小頓別停車場線は、道路現況調書による総延長が 55m しかありません。全線供用済みの道道では遠別停車場線の 49m に次いで短く、実延長でもベスト3に入る短小路線です(注1▼)。
1970年代はじめまでは、日本通運の営業所が写真1・2のバス待合所の位置に建っており、道道を挟んで向かい側に食堂がありました。いずれも、1971年の歌登町営軌道廃止後に閉鎖したと思われます。1970年当時の写真が『森林鉄道からトロッコまで』(大正出版刊。2005年)の 136 ページに掲載されています。同書の144ページに、旧歌登町内で舗装工事中の枝幸音威子府線(当時は枝幸常盤線)の写真も掲載されていて、当時の道路事情がうかがえます。
林業は小頓別の主力産業で、集落には数軒の木材工場が建っていました。それらも姿を消し、現在は一軒を残すのみです。その昔、チップ満載の大型トラックが製紙工場へ走りゆく光景を何度も見かけました。
1965年に730人を数えた小頓別の人口は年々減少し、今では当時の10分の1といわれています。山村留学を実施していた小頓別小中学校は、2009年3月に閉校しました。郵便局と駐在所が健在です。
写真2▲のロータリーの奥に橋が見えます。喜楽橋といい、頓別川の水路変更によって新設されました。
小頓別の集落を流れる頓別川は、国道の小頓別橋(写真5・6▲)から枝幸音威子府線の新導橋まで、山の斜面と住宅地に挟まれていました。
1997年8月に発生した洪水がきっかけとなり、対策の検討に入ります。従来の水路を拡げるには敷地が狭いため、新しい水路を掘削することになりました。延長は 960m で、落合橋下流から新川橋(図1の右端に架かる国道の橋)下流まで。10年に1度の割合で起こりうる洪水に対応した、1秒当たり110立方メートルの水量を想定して計画されました。
稚内建設管理部が事業を担当しました。頓別川は北海道管理の2級河川です。
新水路はJR天北線の廃線跡が主に使われ、2000年度着工、2005年度に完成しました。鉄道の廃止がなければ、陽の目を見なかったかもしれません。一方、小頓別駅周辺の天北線廃線跡はほぼ消滅しました。
水路変更後、国道の落合橋付近から小頓別橋手前までの旧河川が埋め立てられます。
駅跡は公園になっていて昔の面影はないのだが、町の様子は変わっていなかった。フランスの片田舎を思わせるとても可愛い町のイメージは、昔ツーリングやバイクのレースで通った時と同じだ。
亀畑氏が2005年8月17日に撮影した際は写真5▲と同様の風景が残っていました。旧河川の埋め立てはその後、2005年度から2006年度にかけて実施されます。中頓別町の2005年度決算説明資料よりますと、3,041万円の費用で排水用の暗渠管を敷設しました。
短距離道道ながら、小頓別停車場線には全長 11m の「あゆみ橋」が架かります。1989年5月1日にJR天北線が廃止されてのち、1990年12月に完成しました。道道起点付近のロータリーやバス停留所・待合室の使用開始も同時と思われます。転換バスの運行当初、宗谷バスの小頓別停留所は国道の小頓別橋手前にありました。
それまで、1962年完成の駅前橋が架かっていました。幅員は 7.5m で、歩道は設置されていません。対してあゆみ橋は路側帯を含む車道 7.5m、両方向に 3.5m ずつ歩道を設けました。天北線廃止前にも駅前橋を渡るバスの便はありましたが、転換バスの運行で増便されるのを考慮し、歩行者の安全を図ったのでしょう。
さて、これだけ大規模な改築を施したから当然告示があるだろうと、1989年から1991年までの北海道公報を入念に調べました。しかし残念ながら、該当する告示はありませんでした。1961年3月31日の認定以来、小頓別停車場線の区域に関する告示は1度だけです。
区間 敷地の幅員 延長 国道等との重複区間 枝幸郡中頓別町字小頓別(国鉄用地界)地先から
枝幸郡中頓別町字小頓別(道道浜頓別常盤線交点)地先まで8.40m から 8.40m まで 54.38m
少なくとも道路の拡幅は間違いなく、公示内容と一致しないことは明らかです。今からでも遅くないので、区域変更と供用開始を告示するのが妥当でしょう。2018年4月1日現在の橋梁現況調書では、橋名が「エキマエバシ」で築造年次が昭和37年となっています。その他の項目は、あゆみ橋のデータが記載されています。
頓別川旧水路の埋立てにより、あゆみ橋は役割を失ってしまいました。
旅鴉さんのブログより(2010年5月29日)。