1978年

1978年5月6日北海道告示

昭和53年5月6日北海道告示第1403号(道道の路線の認定)
整理番号路線名起点終点重要な経過地道路法該当号
934相生蘭越線磯谷郡蘭越町字相生磯谷郡蘭越町6
935小黒部鰔川線檜山郡江差町大字小黒部村檜山郡江差町大字鰔川村6
936丹羽今金線瀬棚郡北檜山町字丹羽瀬棚郡今金町6
937富沢台場線 1981年2月17日変更旭川市神居町富沢 1981年2月17日変更旭川市神居町台場6
938伊文政和線士別市温根別町伊文雨竜郡幌加内町字政和6
939日進名寄線名寄市字日進名寄市6
940東川旭川線上川郡東川町旭川市6
941比布当麻旭川線上川郡比布町旭川市当麻町4
942東鷹栖永山線旭川市東鷹栖旭川市永山町6
943北見環状線北見市小泉 1987年3月31日変更北見市三輪 1987年3月31日変更6
944神威小清水線斜里郡清里町字神威斜里郡小清水町6
945豊里中斜里停車場線斜里郡斜里町字豊里斜里郡斜里町中斜里停車場6
946向陽清里停車場線斜里郡清里町字向陽斜里郡清里町清里停車場 注1▼6
947留真線十勝郡浦幌町字留真 注2▼十勝郡浦幌町字留真 注2▼6
948幾千世吉野線十勝郡浦幌町字幾千世十勝郡浦幌町字吉野6
949オンネトー線足寄郡足寄町大字螺湾村字モアショロ原野国民保養温泉足寄郡足寄町大字螺湾村字モアショロ原野5
950野付風連公園線野付郡別海町野付風連公園標津郡標津町字茶志骨5
951泉川線野付郡別海町泉川野付郡別海町西春別6
952山花鶴丘線釧路市山花釧路市鶴丘6
953別当賀酪陽線根室市別当賀根室市酪陽6
954厚岸浜中線厚岸郡厚岸町厚岸郡浜中町1
955床潭筑紫恋線厚岸郡厚岸町字床潭厚岸郡厚岸町字筑紫恋5
956小樽環状線小樽市稲穂1丁目 1983年3月31日変更小樽市新光1丁目6
957大成西春別線野付郡別海町大成野付郡別海町西春別駅前寿町6
958大椴線留萌郡小平町大字鬼鹿字大椴 注3▼留萌郡小平町大字鬼鹿字大椴 注3▼6
959シラルトロ湖線川上郡標茶町字シラルトロエトロ川上郡標茶町字コツタロ原野5
960宝水岩見沢線岩見沢市宝水町岩見沢市6
961富武士佐呂間線常呂郡佐呂間町字富武士常呂郡佐呂間町6
962愛国停車場古舞線帯広市愛国停車場中川郡幕別町字古舞5
963江別インター線江別市元江別 1994年4月1日変更江別市元野幌5
告示について
認定時の北見環状線は環状せず、1987年3月31日に終点を延長して環状ルートとなりました。ただ未開通区間があり、実際に一周することはできません。ほかに環状する道道は札幌環状線旭川環状線のみです。苫小牧環状線室蘭環状線小樽環状線釧路環状線帯広環状線(1994年4月1日廃止)・札幌北広島環状線は一周しません。
注1
終点の駅名は「清里町」。
注2
留真温泉付近が起点で、道道本別浦幌線交点が終点です。1996年12月6日の北海道告示第1859号(道路の区域の変更及び供用の開始)により判明しました。
注3
留萌建設管理部によりますと、認定当初の起点は大椴子(おおとどっこ)川支流沿いの林道が二股に分かれる辺りで、終点は一般国道232号交点とのことです。2010年に起点が変更されました。
昭和53年5月6日北海道告示第1404号(道道の路線の廃止)
整理番号路線名起点終点重要な経過地道路法該当号
101円山佐呂間線常呂郡佐呂間町字床丹常呂郡佐呂間町5
105霧多布厚岸線厚岸郡浜中町霧多布厚岸郡厚岸町6
246比布当麻東川線上川郡比布町上川郡東川町東旭川村4
告示について
いずれの路線も、この日認定した路線と重複する区間を含むための廃止です。
昭和53年5月6日北海道告示第1405号(道道の路線の変更)
整理番号新旧の別路線名起点終点重要な経過地道路法該当号
882利別牛首別線中川郡池田町字利別中川郡豊頃町大字豊頃村字牛首別6
882打内太牛首別線中川郡豊頃町大字豊頃村字打内太中川郡豊頃町大字豊頃村字牛首別6
告示について
認定時の告示とは地名の表記が違います。豊頃町は1982年まで大字がありました。よって、当時としては上記の表記が正当です。

1978年10月4日北海道告示

昭和53年10月4日北海道告示第3065号(道道の路線の認定)
整理番号路線名起点終点重要な経過地道路法該当号
964板谷蕗ノ台線中川郡中川町字板谷雨竜郡幌加内町字蕗ノ台6
告示について
同年12月14日の建設省告示第1868号により、約30km の区間が開発道路に指定されました。中川町側・幌加内町側双方から工事が進められ、半分ほどか完成しています。しかし費用対効果が見込めず、工事の長期化が予想されること等から工事中止を決め、2004年6月3日の国土交通省告示第583号により、開発道路の指定が廃止されました。

「ふきのだい」の地名表記について

本サイトでは、認定時の「板谷蕗ノ台線」に統一します。

開発道路を管理する北海道開発局(建設省・国土交通省)は「板谷蕗之台線」で通しています(官報の告示も同様)。北海道公報は「板谷蕗ノ台線」・「板谷蕗之台線」・「板谷蕗の台線」が混在しています。

国土地理院の地形図名は発行当初「蕗之台」で、1996年発行から「蕗の台」に変更しました。2007年発行から「朱鞠内湖北部」に変更され、図上から「蕗の台」が消えています。

筆者の手元にある少々古い道路地図では、『ワイドミリオン 全日本道路地図帖』(東京地図出版。2001年1月発行)が「蕗之台」です。一方、『グランプリ 北海道道路地図』(昭文社。1995年4月発行)には「ふきのだい」の地名が見当たりません(なぜか、近くにあって同じく無人の地名・白樺は書いてある)。

『北海道地名大辞典』(角川書店刊)は「蕗の台」で「蕗ノ台」とも書いたとあり、旧JR深名線の駅名(1990年3月10日廃止)は「蕗ノ台」です。

幌加内町では、1982年11月19日より字名改正を実施しました。こちらは、「蕗ノ台」の全域を「蕗の台」に変更したとあります。居住者がいたころ、地区名の通称は「蕗之台」を用い、学校は「蕗之台小中学校」でした(1962年5月30日閉校)。なお、1982年の字名改正で字白樺が廃止され、字のない地域となりました。

「ふきのだい」が入る道道はほかに、蕗の台朱鞠内停車場線があります。

蕗の台は第二次大戦後に入植が始まったところです。土地条件の厳しさから思うように作物が実らず、1962年7月11日に開拓団の解散式を行い、全戸が離農しました。深名線の蕗ノ台駅は1964年3月31日まで貨物を扱っており、1961年まで駅長・助役が、以降無人化まで助役が在勤していました。

参考文献
  • 『広報ほろかない縮刷版(1951~1997)』(幌加内町発行。1997年8月)