重兵衛渡し

5万分の1地形図「江別」(1972年修正)には、石狩川の渡船が描かれています。

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5万分の1地形図「江別」(昭和47年編集)を約1.5倍に拡大。
図1。1971年まで江別に残っていた渡船。5万分1地形図「江別」(昭和47年編集)を約1.5倍に拡大。

江別市大川通と美原を結ぶ渡船は、1889(明治22)年に美原地区開拓のために開設されました。「重兵衛」の通称は、渡船を始めた武田重兵衛にちなみます。開設以来私設だった渡船は、1950年3月に「一原渡船場道路」として江別町道に認定されました(江別町は1954年7月1日市制施行)。認定の3年後には、櫓こぎによる運航をディーゼルエンジン船へ置き換えます。

しかしモータリゼーションの進行は重兵衛渡しにも襲い、かつて200人から300人いた1日平均の利用者が、1969年になると50人~60人まで減ります。美原地区住民と江別市との話し合いの結果、1971年3月限りで渡船は幕を閉じました。

一般国道231号の石狩市をはじめ、石狩川に数多くあった渡船は次々と姿を消し、記事公開時では美唄市と浦臼町を結ぶ美浦渡船を残すのみとなりました(2011年度限りで廃止)。

図1は、現在と異なる点が数多く見られます。

  • 江別奈井江線(当時は月形江別線)・石狩大橋の長さが短い。新江別橋の新設とほぼ同時期に架け替えられ、1976年11月1日より供用を開始した。
  • 製紙工場や発電所への鉄道専用線がある。
  • 石狩川河川敷緑地・工栄町の工業団地が未整備である。

図1の範囲外には、1975年4月1日に廃止された夕張鉄道の野幌-北長沼間や、野幌森林公園の中央線にあった集落と学校が描かれています。

参考文献
  • 『えべつ昭和史』(1995年3月発行)
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