旧JR天北線の上音威子府駅跡は、ネット上に多数の写真がアップされています。本稿で公開するのは、廃止からちょうど4年後の1993年5月に撮影した写真です。
廃止後の上音威子府駅 1993年7月 pic.twitter.com/6NPDVna5mS
— おみねみやこ9 (@Ominemiyako9) 2019年12月26日
路盤がハッキリ見えた点で、撮影時期に恵まれたといえるでしょう。2か月後に撮影された写真で比べると一目瞭然です。
駅員が配置されていた頃の上音威子府駅の様子は、1994年9月の写真を収めたDoctor"TT" さんの記事に詳しかったのですが、2020年3月にサイトが閉鎖されています。本稿では、上音威子府駅周辺の地形図から検証しました。


写真A・1977年9月28日撮影。無人化された上音威子府駅。鉄道官舎はすでになく、駅前の民家が残る。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング。元画像の縮尺は1万5千分1。
廃止後の上音威子府駅舎は老朽化が著しく、倒壊の危険も出てきました。音威子府村は2004年8月19日、駅舎解体撤去工事の入札を行います。3件の応募があり、120万7,500円で落札され、同年9月30日までの工期で実施されました。日高三股駅長さんのサイトに以前、天北線上音威子府駅入場券の謎と題して解体工事標識の写真が載っていました。現在はサイトが削除されています。
2015年8月、有志によりホーム跡が整備されました。