上音威子府駅-廃止後4年

旧JR天北線の上音威子府駅跡は、ネット上に多数の写真がアップされています。本稿で公開するのは、廃止からちょうど4年後の1993年5月に撮影した写真です。

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写真1。旧上音威子府駅正面。
写真1。一般国道275号から細い砂利道を上ると、上音威子府駅跡があった。建物は解体され現存しない。1993年5月1日撮影。撮影地 中川郡音威子府村字上音威子府
写真2。線路跡から駅舎を見る。
写真2。春浅い時期でもあるせいか、当時は路盤跡が明瞭に見通せた。1993年5月1日撮影。撮影地 中川郡音威子府村字上音威子府
写真3。ホームから駅舎を見る。
写真3。やや離れた位置から撮影。日陰を中心に残雪があった。駅周辺の道床が残っている。1993年5月1日撮影。撮影地 中川郡音威子府村字上音威子府
写真4。ホームと音威子府方向を見る。
写真4。駅のホームは、駅舎の音威子府寄りに設けられていた。交換可能だった時代の下り線である。1993年5月1日撮影。撮影地 中川郡音威子府村字上音威子府
写真5。駅舎に置かれてあった機械。
写真5。「無線車」というシールが貼ってある。何に使う機械だろうか。改札口近くの軒下に保管されていた。1993年5月1日撮影。撮影地 中川郡音威子府村字上音威子府

路盤がハッキリ見えた点で、撮影時期に恵まれたといえるでしょう。2か月後に撮影された写真で比べると一目瞭然です。

駅員が配置されていた頃の上音威子府駅の様子は、1994年9月の写真を収めたDoctor"TT" さんの記事に詳しかったのですが、2020年3月にサイトが閉鎖されています。本稿では、上音威子府駅周辺の地形図から検証しました。

2万5千分1の地形図「小頓別」(昭和44年修正測量)。約1.6倍に拡大。
図1。現国道に沿い、駅の南側に並ぶ建物が鉄道官舎と思われる。小学校や北大演習林事務所もあった。駅周辺の道路は未整備である。2万5千分1地形図「小頓別」(1969年修正測量)を約1.6倍に拡大。
2万5千分1の地形図「小頓別」(昭和57年修正測量)。約1.6倍に拡大。
図2。1970年代以降は道路が整備された一方、上音威子府は急速に寂れた。小学校は廃校、北大演習林事務所は音威子府に移転した。2万5千分1地形図「小頓別」(1982年修正測量)を約1.6倍に拡大。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真A・1977年9月28日撮影。無人化された上音威子府駅。鉄道官舎はすでになく、駅前の民家が残る。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング。元画像の縮尺は1万5千分1。
写真6。廃線跡に並行する国道。
写真6。天北線廃止後は唯一の交通路である一般国道275号に、行き交う車両は少ない。音威子府発着の代替バスは運行開始当初の8往復から、2019年には2往復まで減便された。1993年5月1日撮影。撮影地 中川郡音威子府村字上音威子府
写真7。旧駅前に残っていた廃屋。
写真7。上音威子府駅前に残っていた廃屋。その後に取り壊され、現存しない。1993年5月1日撮影。撮影地 中川郡音威子府村字上音威子府

廃止後の上音威子府駅舎は老朽化が著しく、倒壊の危険も出てきました。音威子府村は2004年8月19日、駅舎解体撤去工事の入札を行います。3件の応募があり、120万7,500円で落札され、同年9月30日までの工期で実施されました。日高三股駅長さんのサイトに以前、天北線上音威子府駅入場券の謎と題して解体工事標識の写真が載っていました。現在はサイトが削除されています。

2015年8月、有志によりホーム跡が整備されました

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