背の高い道道標識

蕗の台朱鞠内停車場線は幌加内町字蕗の台と旧JR深名線朱鞠内駅跡を結ぶ、約 17km の路線です。写真1の標識は字朱鞠内の国道交点に立っており、柱の高さが目を引きます。

本文画像に関する注意事項を表示 本文画像に関する注意事項を隠す
  • 写真+数字(写真1、写真2…)
    • PCの場合、クリックすると拡大表示します。
    • タブレット端末・スマートフォンの場合、写真全体を表示します。デバイスの表示サイズにより、拡大されたり縮小されたりします。
    • いずれのデバイスでも、写真の下部に簡単な説明を表示します。
    • 右上部のバツ印、または画面の適当な場所をクリックすると、元に戻ります。
    • クリックしても拡大されない写真は、その点を注記します。
写真1。道道蕗の台朱鞠内停車場線の標識。
写真1。標識柱が他に比べて高い、道道蕗の台朱鞠内停車場線の標識。一般国道275号交点に立つ。1993年9月19日撮影。撮影地 雨竜郡幌加内町字朱鞠内

幌加内町字朱鞠内は、北海道でも有数の豪雪・寒冷地帯です。積雪量は、多い時で 2m を超えます。さらに吹き溜まりをも考慮して、このような背の高い標識を設置したのかもしれません。

写真1を撮影した15年後、2008年5月に現地を通った時は、案内標識が新設されていたものの道道標識は健在でした。標識本体はその後、近くに設置された矢羽根の支柱に取り付けられています。

道道蕗の台朱鞠内停車場線のデータ
  • 認定-1966年3月31日
  • 起点-雨竜郡幌加内町字蕗の台6780番3地先(道道名寄遠別線交点)
  • 終点-雨竜郡幌加内町字朱鞠内6404番13地先
  • 備考-起点から字朱鞠内のゲートまでの約 13km は冬期通行止め。同区間は24時間の連続雨量が 80mm を超えた場合、通行止めの規制あり。路面状況によって上記以外でも通行を規制する場合があり、近年は起点より 1km のピッシリ山登山口入口から朱鞠内のゲートまで、通年通行止めが続いている。

上は2014年8月撮影のストリートビューで、写真1と同じ位置。蕗の台方向車線に歩道が整備された。矢羽根も取り外し式から固定式になり、視界から建造物が消えている。様相は一変してしまった。初期表示にするにはリロードしてください。

写真1で注目したい点がもう1つあります。工事標識の発注元です。2008年11月現在、幌加内町内は札幌土木現業所が所管しています。しかし、1993年の時点では旭川土木現業所が所管していたのです。

もともと幌加内町内は札幌土現の所管でした。以下、順次旭川土現へ移管されます(別表)。1994年度から再び札幌土現の所管となったようです。

一方で幌加内町の国道を管理する北海道開発局の開発建設部は、1971年度の告示では旭川開建が所管しています。1973年度の告示になると、札幌開建へ変わっている。これも詳しく調べていないので、移管時期はハッキリしません。

2010年4月1日より、北海道の支庁再編が施行されした。

幌加内町は空知支庁から上川総合振興局に編入され、土木現業所の所管も同総合振興局旭川建設管理部(旧旭川土現)へ移ります。同様に留萌土現が所管していた幌延町も、留萌支庁から宗谷総合振興局への編入に伴い、同総合振興局稚内建設管理部(旧稚内土現)の所管へ変更されます。

この時点で、国道の管理は幌加内町が札幌開発建設部、幌延町が留萌開発建設部の管轄で変わらず、国道と道道の管轄区域が異なってしまいました。2011年度より開発建設部の管轄区域改正が実施され、建設管理部と歩調を合わせました。詳しくはFacebookページのノート、北海道と開発局・管轄区域不一致解消に書いてあります。ここでは、全文引用します。

2011年3月31日の官報に、北海道開発局組織規則を改正する国土交通省令(第24号)が公布されました。

2011年度より、開発建設部の管轄が変わります。

具体的には、幌延町が留萌から稚内、幌加内町が札幌から旭川の各開発建設部となります。ただし1級河川は別で、幌加内町政和より下流の雨竜川(注)と、幌延町の天塩川と支流の雄信内川・問寒別川の管理は、札幌・留萌の各開発建設部が引き続き担当します。

※注 幌加内町政和より上流の雨竜川は、北海道(旭川建設管理部)が管理している。

2010年4月実施の支庁再編に伴い、空知支庁管内の幌加内町は上川総合振興局へ、留萌支庁管内の幌延町は宗谷総合振興局へ編入されました。

その際、建設行政の管轄も変わりました。幌加内町は札幌土木現業所から旭川建設管理部へ、幌延町は留萌土木現業所から稚内建設管理部へ移ります。反面、国の出先機関である開発建設部の管轄は変更されなかったため、ねじれ現象が発生したのです。

この問題は、1年で解決を見ました。

別表・幌加内町を通る道道の移管(廃止路線を除く)
指定年月日対象路線
1966年9月6日朱鞠内風連線(当時は添牛内風連線)
1967年1月23日旭川幌加内線
1971年3月24日和寒幌加内線、雨竜旭川線、蕗の台朱鞠内停車場線、幌加内停車場線
1980年10月22日名寄遠別線、伊文政和線
1983年11月12日小平幌加内線

幌加内町は1918(大正7)年4月3日に上北竜村(現・沼田町)から分村し、1959年9月1日に町制を施行しました。支庁制度が成立した1897(明治30)年以降、21世紀の支庁再編まで空知支庁に属してきました。

深名線に乗車

1993年9月中旬、午前8時過ぎに名寄を発車するJR深名線の朱鞠内行普通列車に乗車しました。わずかな地元客は北母子里までに全員降りてしまい、乗り通した客は筆者ひとりでした。

写真2。名寄駅にて。
写真2。名寄発着の深名線はこの頃、旧名寄本線が使用していた3番線を使用していた。8時10分発の上り始発列車である。車両はキハ53 502。1993年9月19日撮影。撮影地 名寄市東1条南6丁目
写真3。名寄発朱鞠内行普通列車の車内(北母子里→湖畔)。
写真3。北母子里駅発車後の車内。貸し切り同然である。キハ53形500番台は、片運転台車の急行用キハ56形に、同じくキハ27形の運転台を合わせて両運転台化した。1986年に10両が改造され、1996年までに全車廃車となっている。1993年9月19日撮影。
写真4。朱鞠内駅ホームにて。
写真4。9時12分に朱鞠内駅へ着いた深名線の列車は、折り返し9時40分発名寄行きとなる。深川方面への接続は、5時間余り待たなければならない。1993年9月19日撮影。撮影地 雨竜郡幌加内町字朱鞠内
写真5。朱鞠内駅舎。
写真5。道道蕗の台朱鞠内停車場線の終点。1964年の朱鞠内大火後に再建された。幌加内とともに、深名線廃止まで駅員が配置されていた。駅舎は廃止後に解体され現存しない。1993年9月19日撮影。撮影地 雨竜郡幌加内町字朱鞠内
次のブログ記事も読まれています

カテゴリー

シリーズ

ブログの筆者

北海道の道路について調べています。詳しい自己紹介