蕗の台朱鞠内停車場線は幌加内町字蕗の台と旧JR深名線朱鞠内駅跡を結ぶ、約 17km の路線です。写真1の標識は字朱鞠内の国道交点に立っており、柱の高さが目を引きます。
幌加内町字朱鞠内は、北海道でも有数の豪雪・寒冷地帯です。積雪量は、多い時で 2m を超えます。さらに吹き溜まりをも考慮して、このような背の高い標識を設置したのかもしれません。
写真1を撮影した15年後、2008年5月に現地を通った時は、案内標識が新設されていたものの道道標識は健在でした。標識本体はその後、近くに設置された矢羽根の支柱に取り付けられています。
上は2014年8月撮影のストリートビューで、写真1と同じ位置。蕗の台方向車線に歩道が整備された。矢羽根も取り外し式から固定式になり、視界から建造物が消えている。様相は一変してしまった。初期表示にするにはリロードしてください。
写真1で注目したい点がもう1つあります。工事標識の発注元です。2008年11月現在、幌加内町内は札幌土木現業所が所管しています。しかし、1993年の時点では旭川土木現業所が所管していたのです。
もともと幌加内町内は札幌土現の所管でした。以下、順次旭川土現へ移管されます(別表)。1994年度から再び札幌土現の所管となったようです。
一方で幌加内町の国道を管理する北海道開発局の開発建設部は、1971年度の告示では旭川開建が所管しています。1973年度の告示になると、札幌開建へ変わっている。これも詳しく調べていないので、移管時期はハッキリしません。
2010年4月1日より、北海道の支庁再編が施行されした。
幌加内町は空知支庁から上川総合振興局に編入され、土木現業所の所管も同総合振興局旭川建設管理部(旧旭川土現)へ移ります。同様に留萌土現が所管していた幌延町も、留萌支庁から宗谷総合振興局への編入に伴い、同総合振興局稚内建設管理部(旧稚内土現)の所管へ変更されます。
この時点で、国道の管理は幌加内町が札幌開発建設部、幌延町が留萌開発建設部の管轄で変わらず、国道と道道の管轄区域が異なってしまいました。2011年度より開発建設部の管轄区域改正が実施され、建設管理部と歩調を合わせました。詳しくはFacebookページのノート、北海道と開発局・管轄区域不一致解消に書いてあります。ここでは、全文引用します。
2011年3月31日の官報に、北海道開発局組織規則を改正する国土交通省令(第24号)が公布されました。
2011年度より、開発建設部の管轄が変わります。
具体的には、幌延町が留萌から稚内、幌加内町が札幌から旭川の各開発建設部となります。ただし1級河川は別で、幌加内町政和より下流の雨竜川(注)と、幌延町の天塩川と支流の雄信内川・問寒別川の管理は、札幌・留萌の各開発建設部が引き続き担当します。
※注 幌加内町政和より上流の雨竜川は、北海道(旭川建設管理部)が管理している。
2010年4月実施の支庁再編に伴い、空知支庁管内の幌加内町は上川総合振興局へ、留萌支庁管内の幌延町は宗谷総合振興局へ編入されました。
その際、建設行政の管轄も変わりました。幌加内町は札幌土木現業所から旭川建設管理部へ、幌延町は留萌土木現業所から稚内建設管理部へ移ります。反面、国の出先機関である開発建設部の管轄は変更されなかったため、ねじれ現象が発生したのです。
この問題は、1年で解決を見ました。
| 指定年月日 | 対象路線 |
|---|---|
| 1966年9月6日 | 朱鞠内風連線(当時は添牛内風連線) |
| 1967年1月23日 | 旭川幌加内線 |
| 1971年3月24日 | 和寒幌加内線、雨竜旭川線、蕗の台朱鞠内停車場線、幌加内停車場線 |
| 1980年10月22日 | 名寄遠別線、伊文政和線 |
| 1983年11月12日 | 小平幌加内線 |
幌加内町は1918(大正7)年4月3日に上北竜村(現・沼田町)から分村し、1959年9月1日に町制を施行しました。支庁制度が成立した1897(明治30)年以降、21世紀の支庁再編まで空知支庁に属してきました。
1993年9月中旬、午前8時過ぎに名寄を発車するJR深名線の朱鞠内行普通列車に乗車しました。わずかな地元客は北母子里までに全員降りてしまい、乗り通した客は筆者ひとりでした。