220号が99号だった頃

写真1は1993年9月に撮影した歌登咲来停車場線の標識です。路線番号が「220」ではなく「99」となっています。道道の番号再編以前だからです。

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写真1。道道歌登咲来停車場線の標識。
写真1。一般国道40号交点より、歌登方面を望む。撮影当時は道道の番号再編以前のため、路線番号は現行の「220」ではなく「99」である。1993年9月19日撮影。撮影地 中川郡音威子府村字咲来

歌登側からも咲来側からも、幾度となく通った道です。

歌登側から咲来峠を越えてくると、国道交点が近づいてもその気配を感じません。

一般国道40号は、神社から北へ続く森に遮られています。咲来の市街はその向こうに隠れており、車窓から遠望できるのは天塩川対岸に茂る森です。

それが最後の右カーブを切ると、唐突に交差点が見えてくる。あっけない幕切れを迎えるようで、印象に焼き付いています。

道道の番号再編について詳しくは、以下の記事をご参照ください。

写真2。道道歌登咲来停車場線の終点。
写真2。道道歌登咲来停車場線の終点付近。終点位置は特定できていないが、舗装路の切れる地点が妥当だろう。1993年9月19日撮影。撮影地 中川郡音威子府村字咲来
写真3。JR宗谷本線咲来駅前。
写真3。旧木造駅舎の跡は更地化され、ホーム上に待合室が建つ。三角屋根の建物は日本通運の営業所跡。1993年9月19日撮影。撮影地 中川郡音威子府村字咲来

咲来はアイヌ語の「パンケサクルー」(下流の夏の道)に由来し、「サク・ル=魚の道」という説もあるようです。同様の語源をもつ地名に滝上町のサクルー原野と清里町の札弦町があり、安平町早来も類似の説と言われます。

JR宗谷本線・咲来駅

写真4。JR宗谷本線咲来駅ホーム。
写真4。かつては交換設備を有していた。無人化の際に撤去され、現在は旧下り線ホームのみ残る。前方は音威子府・稚内方向。1993年9月19日撮影。撮影地 中川郡音威子府村字咲来
写真5。日本通運営業所跡。
写真5。撮影当時は廃墟と化していた日本通運営業所跡は、その後ライダーハウス咲来に改装され、ツーリング客に愛用されている。1993年9月19日撮影。撮影地 中川郡音威子府村字咲来
写真6。旧駅舎の土台。
写真6。咲来駅旧駅舎は、コンクリートの土台だけが残っていた。自転車が置いてあり、通学利用客の存在を物語っている。1993年9月19日撮影。撮影地 中川郡音威子府村字咲来
写真7。JR宗谷本線咲来駅の待合室。
写真7。旧駅舎解体後、ホーム上に待合室が設置された。当初は貨車駅で、のちに建て替えられた。現在は外壁が塗り替えられている。1993年9月19日撮影。撮影地 中川郡音威子府村字咲来
写真8。待合室内に掲示された時刻表。
写真8。写真8。咲来駅の時刻表、1993年4月1日ダイヤ改正。その後、下り7時11分発音威子府行と13時40分発稚内行、上り10時22分発名寄行と15時43分発名寄行に相当する列車が削減されている。また上りの15時台と20時台の間に咲来駅を通過する名寄行があったものの、現在は停車するよう改められた。名寄-音威子府の最終臨時列車の設定も今はない。1993年9月19日撮影。撮影地 中川郡音威子府村字咲来
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