北海道で最も人口の少ない音威子府村の過疎化は、極めて深刻です(注1▼)。2013年1月に撮影された咲来の写真と文章を読んで、愕然としました。最後の文に、村でも何とかしたい気持ちが伝わってきます。
「メイン通り」をどう解釈するか。道道歌登咲来停車場線に面した一角と、筆者は判断しました。
そこで参考文献をもとに、メイン通りの住宅図を図1にまとめました。縮尺は考慮に入れず、位置関係を表してあります。

一口に咲来といっても範囲は広く、市街地でもメイン通りより音威子府寄りや旧郵便局の裏手にも家屋があります。歌登咲来停車場線を咲来峠へ向かう沿道や、その南に牧場が広がる咲来団体と呼ばれる地域、以前は止若内(やむわっかない)という別の字名だった、天塩川温泉の周辺も咲来に含まれます。
メイン通りは、まさに咲来の中心です。2世帯しか住んでいないと聞き、そこまで寂れているとは想像以上でした。
咲来集落
— 道路旅人 (@traveller_3104k) August 11, 2019
だだっ広い道はなんとも北海道らしいが、やはり空き家や空き地が目立つ現状。旧咲来公民館も解体真っ最中だった。
そして駅への通りの末端にはライダーハウスがある。#2019夏の北の大地旅 pic.twitter.com/Jn2OyGHyTM
音威子府地域バスが止まる旧咲来公民館。解体されていた。ストリートビューに映っている郵便ポストも撤去されてるようだ。「旧」なので既に使われていないのだろうけど建物の実物見たかった。2月か3月頃に雪の重みで屋根が壊れて、8月に入って解体作業が始まったらしい(バスの運転手さん談) pic.twitter.com/7NSewwJogf
— むらさきさくら (@p_sakura44) August 28, 2019
毎日正午になると公民館からサイレンが、17時になると同じくチャイムが鳴り響き、集落にとって時間の目安となっていました。
駅無人化・郵便局廃止・農協支所閉鎖・中学校と小学校の閉校…公共施設の合理化と撤退が咲来に与えた影響は、大きかったに違いありません。かつて村役場の所在地だった咲来は、限界集落化しかねないでしょう。


図2と図3では、天塩川の改修によって堤防が設けられた点が大きく異なっており、小学校移転もその影響です。
2007年に閉校した咲来小学校は、元々市街の北はずれにありました。敷地が天塩川改修の対象になり、1985年に中学校跡へ新築移転しました。1970年代以降児童数が減少傾向になり、1991年から山村留学生の受け入れを始めました。それでも学校の維持が難しくなったのです。
メイン通りは道道であると同時に、一般国道40号の旧ルートでした。告示では、国道の現ルートへ切り替えは1970年3月7日となっています。道道交点より北は村道咲来児玉線、南は同咲来総合工場線へ移管されました。天塩川の改修に伴い、旧国道の一部は堤防上にルートを移しています(天塩川に関しては未調査のため、詳述いたしません)。
写真6の踏切は、歌登咲来停車場線踏切から名寄方面へ 300m 弱ほど進んだ地点にありました。さらに 300m 弱ほど南と、咲来駅から 800m 余り音威子府方向へ進んだ地点にも第4種踏切がありました。いずれも時期は不明ですが、廃止されています。