咲来懐旧-1990年代

北海道で最も人口の少ない音威子府村の過疎化は、極めて深刻です(注1▼)。2013年1月に撮影された咲来の写真と文章を読んで、愕然としました。最後の文に、村でも何とかしたい気持ちが伝わってきます。

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写真1。咲来郵便局(現在は閉鎖)。
写真1。咲来郵便局は1910(明治43)年3月28日に開設された。集配業務は1984年6月25日に廃止、郵便番号が 098-24 → 098-25 へ変わった。その後は局長と職員の2人体制であった。奥行きがあり、配達員がいた当時を偲ばせる。2005年3月25日限りで廃局、局舎は解体され現存しない。1993年9月19日撮影。撮影地 中川郡音威子府村字咲来
注1
人口は2013年1月末現在で819人。2020年1月末現在では、709人となっている。

「メイン通り」をどう解釈するか。道道歌登咲来停車場線に面した一角と、筆者は判断しました。

そこで参考文献をもとに、メイン通りの住宅図を図1にまとめました。縮尺は考慮に入れず、位置関係を表してあります。

図1。2013年現在の咲来市街居住状況。
図1。2013年現在、居住している家屋は白抜きの2世帯だけ。1996年の状況を思うと、減り方が急激である。公民館は旧小学校校舎に役目を譲った。

一口に咲来といっても範囲は広く、市街地でもメイン通りより音威子府寄りや旧郵便局の裏手にも家屋があります。歌登咲来停車場線を咲来峠へ向かう沿道や、その南に牧場が広がる咲来団体と呼ばれる地域、以前は止若内(やむわっかない)という別の字名だった、天塩川温泉の周辺も咲来に含まれます。

メイン通りは、まさに咲来の中心です。2世帯しか住んでいないと聞き、そこまで寂れているとは想像以上でした。

写真2。歌登咲来停車場線踏切。
写真2。一般国道40号交点と、旧国道である村道咲来総合工場線交点の間に、JR宗谷本線を渡る歌登咲来停車場線踏切がある。1993年9月19日撮影。撮影地 中川郡音威子府村字咲来
写真3。咲来市街を遠望。
写真3。道の西方に広がる畑から、咲来市街の街並みと村道咲来総合工場線(旧国道)交点を遠望した。2013年9月中旬撮影。撮影地 中川郡音威子府村字咲来
写真4。旧国道。
写真4。咲来市街のメイン通りは幅員が広く、両方向に歩道が設置されている。右手奥の大きい建物が旧公民館で、延床面積 355.00㎥、1970年築の鉄筋コンクリート造である。2019年に解体された。1993年9月中旬撮影。撮影地 中川郡音威子府村字咲来
写真5。旧咲来公民館前より。
写真5。旧公民館前から写す。2軒並ぶ商店が健在だった。その先に見える木造2階建てが農協支所である。なおメイン通りは1960年代まで、一般国道40号だった。1993年9月中旬撮影。撮影地 中川郡音威子府村字咲来

毎日正午になると公民館からサイレンが、17時になると同じくチャイムが鳴り響き、集落にとって時間の目安となっていました。

駅無人化・郵便局廃止・農協支所閉鎖・中学校と小学校の閉校…公共施設の合理化と撤退が咲来に与えた影響は、大きかったに違いありません。かつて村役場の所在地だった咲来は、限界集落化しかねないでしょう。

2万5千分の1地形図「音威子府」(昭和57年修正測量)を約1.2倍に拡大。
図2。真ん中から左寄り、縦長に描かれた建物が旧咲来中学校。2万5千分1地形図「音威子府」(1982年修正測量)を約1.2倍に拡大。
2万5千分の1地形図「音威子府」(平成13年修正測量)を約1.2倍に拡大。
図3。線路と交差する小道が2か所消えている。2万5千分1地形図「音威子府」(2001年修正測量)を約1.2倍に拡大。

図2と図3では、天塩川の改修によって堤防が設けられた点が大きく異なっており、小学校移転もその影響です。

2007年に閉校した咲来小学校は、元々市街の北はずれにありました。敷地が天塩川改修の対象になり、1985年に中学校跡へ新築移転しました。1970年代以降児童数が減少傾向になり、1991年から山村留学生の受け入れを始めました。それでも学校の維持が難しくなったのです。

メイン通りは道道であると同時に、一般国道40号の旧ルートでした。告示では、国道の現ルートへ切り替えは1970年3月7日となっています。道道交点より北は村道咲来児玉線、南は同咲来総合工場線へ移管されました。天塩川の改修に伴い、旧国道の一部は堤防上にルートを移しています(天塩川に関しては未調査のため、詳述いたしません)。

写真6。学校に通じる踏切。
写真6。国道から踏み分け道を入ると、錆びついた標識と踏切があった。警報機のない第4種、12月2日から4月10日は車両通行止めである。線路を渡り、樹々を抜けると学校に出た。踏切の位置や、冬季も徒歩の利用を可能にしたのは、通学生に配慮したのであろう。踏切は廃止され、現存しない。1993年9月中旬撮影。撮影地 中川郡音威子府村字咲来

写真6の踏切は、歌登咲来停車場線踏切から名寄方面へ 300m 弱ほど進んだ地点にありました。さらに 300m 弱ほど南と、咲来駅から 800m 余り音威子府方向へ進んだ地点にも第4種踏切がありました。いずれも時期は不明ですが、廃止されています。

写真7。ホーロー看板のある廃屋。
写真7。「お茶は宇治園」のホーロー看板を取り付けた廃屋。解体され現存しない。1993年9月中旬撮影。撮影地 中川郡音威子府村字咲来
写真8。自転車店。
写真8。小集落には珍しい自転車店。「富士自轉車」のホーロー看板がある。自転車の部品を販売しているほか、1台だけ自転車が置いてあった。筆者は店主の許可を得て自転車を借り、天塩川温泉駅まで往復した。「屋根板下見板」のホーロー看板もあるように板金屋が主な生業で、撮影当時は老夫婦が住んでいた。その後は無人となり、2018年に建物が解体されたという。1993年9月中旬撮影。撮影地 中川郡音威子府村字咲来
参考文献
  • 『開校九十周年記念誌・咲来 わが大地のうた』(音威子府村立咲来小学校。1996年8月発行)
  • 『音威子府村史』(1976年12月・2007年7月発行)
  • 『音威子府村公共施設等総合管理計画』(2016年12月)
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