興浜北線・斜内駅跡

1985年7月1日に廃止された興浜北線・斜内駅は現在、個人所有と聞いています。

いつ頃からそうなったのか、分かりません。撮影時、この点の予備知識は持っていませんでした。

筆者が訪れた時、出入口には木が打ちつけてあり、内部へ立ち入りできません。ただ窓に木は打ちつけておらず、失礼ながら窓より内部を写しました。誰かが使用している気配は感じ取れなかったです。

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写真1。斜内駅舎。
写真1。廃止後約8年を経過した斜内駅。ホームへは、タンクの先にある階段を上がる。1970年代末に建て替えられた駅舎の使用時期は短かった。1993年5月2日撮影。撮影地 枝幸郡浜頓別町字斜内
写真2。北見枝幸方向。
写真2。ホーム跡から北見枝幸方面を写す。駅名標はくり抜かれている。この先、北見神威岬の断崖に沿って斜内山道を抜けていた。1993年5月2日撮影。撮影地 枝幸郡浜頓別町字斜内
写真3。浜頓別方向。
写真3。浜頓別方面を写す。ホームとレールはそのまま残っていた。現在は跡形もないそうである。1993年5月2日撮影。撮影地 枝幸郡浜頓別町字斜内
写真4。乗車券購入の案内。
写真4。乗車券取り扱い等のただし書きが貼ってある。管理駅は浜頓別と北見枝幸のどちらであったろうか。1993年5月2日撮影。撮影地 枝幸郡浜頓別町字斜内
写真5。斜内駅発車時刻表。
写真5。1985年3月14日改正の時刻表が駅舎内に残っている。6往復で下り始発が音威子府発、上り最終が音威子府行という形態が続いていた。1993年5月2日撮影。撮影地 枝幸郡浜頓別町字斜内

訪れた日は冷たい雨まじりの空模様でした。撮影時刻に近い11時、最も近いアメダス地点の北見枝幸は気温3.8℃です。薄着だったこともあり、長時間外にいると寒さが身に堪えた記憶があります。駅跡に多数咲いていたフキノトウが印象的でした。

斜内駅が無人化されたのは、1973年9月17日です。終点の北見枝幸を除く、豊牛・目梨泊・問牧の各駅も対象となりました。

1950年代から60年代にかけて、浜頓別-斜内に区間列車が設定されていました。当初は15時台に1往復、その後は7時台に1往復、いずれも休日運休です。浜頓別での折り返しが長めなのを活用しました。旅客列車を気動車に置き換えた1950年代後半は、朝の浜頓別-豊牛1往復や、下りだけ午後に目梨泊行が設定されるなど、意欲的なダイヤが見られました。

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