旧丹波屋旅館をめぐって

中頓別町の小頓別地区は国鉄宗谷線(のちJR天北線)の開通と共に交通の要衝として栄えました。林業の盛んな場所でもあります。隣町の枝幸町歌登を結んだ歌登町営軌道も、木材輸送に活躍しました。集められた木材は、貨物列車やトラックで輸送されました。

1970年代後半から林業が衰え、1989年に鉄道が廃止され、2009年に小中学校が廃校になりました。残る公的機関は、郵便局と駐在所のみです。

1965年に730人を数えた集落の人口も、今では10分の1にまで激減しました。かつて存在した木材工場や日通の営業所・保育園は跡形もなく、廃屋や空き地が目立ちます。旧駅構内の一部は、頓別川の切り替え工事で河川敷となりました。

そうした中、昔日の面影を留める建築物が、旧駅前の丹波屋旅館です。

本文画像に関する注意事項を表示本文画像に関する注意事項を隠す
  • 写真+数字(写真1、写真2…)
    • PCの場合、クリックすると拡大表示します。
    • タブレット端末・スマートフォンの場合、写真全体を表示します。デバイスの表示サイズにより、拡大されたり縮小されたりします。
    • いずれのデバイスでも、写真の下部に簡単な説明を表示します。
    • 右上部のバツ印、または画面の適当な場所をクリックすると、元に戻ります。
    • クリックしても拡大されない写真は、その点を注記します。
写真1。旧丹波屋旅館は、小頓別の栄華を伝える貴重な建造物である。
写真1。2014年に旧丹波屋旅館(和館)は築100年を迎えた。洋館は補修中らしく、足場が組まれている。2006年10月5日撮影。撮影地 枝幸郡中頓別町字小頓別
写真2・西側面。隣接して建っていた商店が解体され、撮影可能になった。
写真2。旧丹波屋旅館の西側面。空き地となっている手前に2000年ごろまで商店が建っており、垣間見ることは難しかった。2006年10月5日撮影。撮影地 枝幸郡中頓別町字小頓別

鉄道が開通した1914(大正3)年ごろに和館が建てられ、1927(昭和2)年ごろに洋館を増築しました。1989年の鉄道廃止まで旅館として営業を続け、その後は経営者の親族が引き継ぎました(2020年現在も居住しているかどうかは不明)。

1999年、文化庁が諮問し専門委員会が審議・答申した登録有形文化財に、旧丹波屋旅館も含まれました。2000年2月15日付で登録されています。

各地で歴史ある建物の維持・保存が問題になっています。築一世紀を超える旧丹波屋旅館も、例外に漏れません。

当時引き継いだご夫婦はともに70代となり、次の理由から建物の取り壊しを中頓別町に申し出ました。

  • 土台の腐食が進んでいる。
  • 年金生活では建物の改修が難しい。原則、建物の維持管理は所有者が行う。

改修に600万円が必要とされ、中頓別町に買い取る余裕はありませんでした。

2012年は町内外の有志が内部を清掃しました。次いで翌2013年7月に保存会が結成され、2020年8月にNPO法人「旧丹波屋旅館保存活用プロジェクト」が設立されました。

活動の中心は小頓別(秋田)在住の酪農家で中頓別町議・星川三喜男氏です。

小頓別にゆかりのある方、歴史的建築物に関心のある方の協力と募金を、「旧丹波屋旅館保存活用プロジェクト」は呼び掛けています。

小頓別は私の出身地で、ゆかりある者の一人です。1960年代、亡き父が下宿していたと聞いています。ご協力の一助になればと思い、ブログに記事をアップした次第です。

稚内に3日滞在したあとに、 道北の内陸にある中頓別町へ。 ここに来年、築100年を迎える特異な建物があります。 今はなき天北線が宗谷本線と呼ばれていた時代、北上した鉄道は、1914年、小頓別駅まで到達しました。 それと同時に駅前に開業...

工藤 裕之さんの投稿 2013年9月22日日曜日

<シェアお願いいたします!> 「NPO法人旧丹波屋旅館保存活用プロジェクト」の会員募集・寄付募集をスタートいたします。 NPO法人の活動運営費は、会員の皆さまの会費及びご寄付で賄われます。添付のチラシをご覧いただき、入会、協賛、ご寄付のご...

NPO法人 旧丹波屋旅館保存活用プロジェクトさんの投稿 2020年10月15日木曜日

本稿公開に際し、検索結果で表示された各記事を参考にしました。

次のブログ記事も読まれています

カテゴリー

シリーズ

ブログの筆者

北海道の道路について調べています。詳しい自己紹介