中頓別町の小頓別地区は国鉄宗谷線(のちJR天北線)の開通と共に交通の要衝として栄えました。林業の盛んな場所でもあります。隣町の枝幸町歌登を結んだ歌登町営軌道も、木材輸送に活躍しました。集められた木材は、貨物列車やトラックで輸送されました。
1970年代後半から林業が衰え、1989年に鉄道が廃止され、2009年に小中学校が廃校になりました。残る公的機関は、郵便局と駐在所のみです。
1965年に730人を数えた集落の人口も、今では10分の1にまで激減しました。かつて存在した木材工場や日通の営業所・保育園は跡形もなく、廃屋や空き地が目立ちます。旧駅構内の一部は、頓別川の切り替え工事で河川敷となりました。
そうした中、昔日の面影を留める建築物が、旧駅前の丹波屋旅館です。
鉄道が開通した1914(大正3)年ごろに和館が建てられ、1927(昭和2)年ごろに洋館を増築しました。1989年の鉄道廃止まで旅館として営業を続け、その後は経営者の親族が引き継ぎました(2020年現在も居住しているかどうかは不明)。
1999年、文化庁が諮問し専門委員会が審議・答申した登録有形文化財に、旧丹波屋旅館も含まれました。2000年2月15日付で登録されています。
各地で歴史ある建物の維持・保存が問題になっています。築一世紀を超える旧丹波屋旅館も、例外に漏れません。
当時引き継いだご夫婦はともに70代となり、次の理由から建物の取り壊しを中頓別町に申し出ました。
改修に600万円が必要とされ、中頓別町に買い取る余裕はありませんでした。
2012年は町内外の有志が内部を清掃しました。次いで翌2013年7月に保存会が結成され、2020年8月にNPO法人「旧丹波屋旅館保存活用プロジェクト」が設立されました。
活動の中心は小頓別(秋田)在住の酪農家で中頓別町議・星川三喜男氏です。
小頓別にゆかりのある方、歴史的建築物に関心のある方の協力と募金を、「旧丹波屋旅館保存活用プロジェクト」は呼び掛けています。
小頓別は私の出身地で、ゆかりある者の一人です。1960年代、亡き父が下宿していたと聞いています。ご協力の一助になればと思い、ブログに記事をアップした次第です。
稚内に3日滞在したあとに、 道北の内陸にある中頓別町へ。 ここに来年、築100年を迎える特異な建物があります。 今はなき天北線が宗谷本線と呼ばれていた時代、北上した鉄道は、1914年、小頓別駅まで到達しました。 それと同時に駅前に開業...
工藤 裕之さんの投稿 2013年9月22日日曜日
<シェアお願いいたします!> 「NPO法人旧丹波屋旅館保存活用プロジェクト」の会員募集・寄付募集をスタートいたします。 NPO法人の活動運営費は、会員の皆さまの会費及びご寄付で賄われます。添付のチラシをご覧いただき、入会、協賛、ご寄付のご...
NPO法人 旧丹波屋旅館保存活用プロジェクトさんの投稿 2020年10月15日木曜日
>RT 昔(30年以上前)この旅館に泊まったことがあります。10畳くらいの広い部屋にひとりだけ。
— まっぴー☆彡 (@mappy_1105_tw) October 22, 2020
薪ストーブと(昭和の旅館によくあった)少し重たい布団もいい想い出です。#旧丹波屋旅館保存活用プロジェクト pic.twitter.com/szVx2hudp7
いよいよ、旧丹波屋旅館保存活用プロジェクト始動します!
— NPO法人 旧丹波屋旅館保存活用プロジェクト (@shotonbetsu) October 21, 2020
皆さま 拡散していただけると嬉しいです!よろしくお願い致します。#旧丹波屋旅館保存活用プロジェクト#拡散希望 pic.twitter.com/vFMED27FBN
本稿公開に際し、検索結果で表示された各記事を参考にしました。