番号 | 179→259(1994年10月1日-) |
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認定 | 1957(昭和32)年3月30日 |
起点 | 勇払郡厚真町字上厚真251番3地先(道道厚真浜厚真停車場線交点) |
終点 | 苫小牧市元中野町4丁目10番10地先(一般国道36号交点) |
上厚真苫小牧線は、厚真町上厚真地区と苫小牧市中心部を結ぶ道道です。苫小牧港建設で、劇的な変貌を遂げました。込み入った経過をたどっており、全容をつかみにくい路線でもあります。
前編は終点の移り変わりと8車線区間を、中編と後編は沼ノ端以東をご紹介します。別に、総延長・改良率・幅員別延長などの数値をデータ編にまとめました。
まず、終点の位置について触れましょう。
認定当初の終点は、一般国道36号旧道の一本松踏切南方と推定されます。踏切廃止・36号の切り替えで、交点の国道は235号に変わります(図1)。
1965年に一般国道36号交点までを道道へ編入し、同235号の重複区間となります。翌年の同235号ルート切り替えにより、単独区間化されます。この時の36号交点は、今よりも西側でした(図2)。1967年に交点付近のルートが切り替わり、現在へ至ります。
なお一本松踏切については国道36号の記事をご参照ください。
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写真A・1966年9月2日撮影。上厚真苫小牧線のルート切り替え工事が着々と進む。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミングし、66.7%に縮小・回転した。元画像の縮尺は2万分1。
区間 敷地の幅員 延長 国道等との重複区間 苫小牧市字静川103番地先(厚真町界)から
苫小牧市字沼の端101番地先まで7.27m から 25.00m まで 10,513.59m 苫小牧市字沼の端101番地先から
苫小牧市字勇払147番地先まで14.54m から 36.36m まで 4,796.09m 苫小牧市字勇払147番地先から
苫小牧市字中野87番の20地先(一般国道36号線交点)まで20.92m から 27.27m まで 2,120.00m 一般国道235号線重複
区間 変更前後の別 敷地の幅員 延長 備考 苫小牧市字沼の端61番の4地先から
苫小牧市字中野87番の20地先(一般国道36号線交点)まで前1 14.54m から 27.27m まで 8,885.00m 同上 後1 14.54m から 27.27m まで 8,885.00m 同上 後2 50.00m から 50.00m まで 8,000.00m 道路予定地
区間 変更前後の別 敷地の幅員 延長 国道等との重複区間 苫小牧市字勇払152番の8地先から
苫小牧市字中野87番の20地先まで前1 14.54m から 27.27m まで 3,808.00m 苫小牧市字勇払152番の8地先から
苫小牧市字中野87番の20地先(一般国道36号線交点)まで前2 50.00m から 50.00m まで 4,937.00m 苫小牧市字勇払152番の8地先から
苫小牧市字中野89番の186地先(一般国道36号線交点)まで後2 10.00m から 50.00m まで 4,700.00m
臨港地帯の8車線道路は、いかに形成されたのでしょう。
1958年3月26日の建設省告示第514号で、都市計画街路「広路3号線」に決定したのが始まりです。都市計画の変更により、現在は「臨海北通」と称しています。
その後、数年にわたる用地買収と道央地区新産業都市建設基本計画(以下、新産業都市計画と略す)の策定を受け、1965年より事業が開始されました。建設に先立って苫小牧市は同年夏、広路3号線の道道昇格を申請します。新産業都市計画では、道道と位置付けていたからです。申請は10月に認められ、苫小牧港線(現在の苫小牧港通)交点までの工事が3年計画で始まります。用地は8車線分を確保していましたが、当初は4車線で建設されました。沼ノ端まで開通したのは1972年9月です。
以後、一般国道234・235号と同36号をつなぎ、苫小牧西港を結ぶ産業道路として機能しています。片側4車線にもかかわらず交通量は激しく、道央・道東と道南を連絡する重要な路線です。
8車線化は、1980年代から段階的に進められました。延長の変化はデータ編をご参照ください。2009年の広路3号跨線橋拡幅を最後に、計画は完結を見たのです。
上厚真苫小牧線の旧ルートは一部が残っている。上のストリートビューはJA苫小牧倉庫付近より、沼ノ端市街地方向を望む。旧道は直進していた。
右手に室蘭本線を見ながら苫小牧方向へ進む旧道。間もなく、左手から日高本線が合流する。
区間 変更前後の別 敷地の幅員 延長 国道等との重複区間 苫小牧市字沼の端130番の45地先から
苫小牧市字勇払152番の50地先まで前1 10.00m から 27.27m まで 2,658.00m 同上 前2 50.00m から 50.00m まで 2,322.00m 同上 後2 50.00m から 50.00m まで 2,322.00m
区間 供用開始の期日 苫小牧市東開町3丁目20番33地先から
苫小牧市字沼ノ端134番257地先まで平成21年12月21日
写真Bの公共臨港線2本と交差する踏切は、「広路3号大踏切」(全長 17m)という第1種踏切でした。
1975年4月1日にフェリーターミナルが現在地へ移転するのに伴い、アクセスする臨港道路が新設されました。当然、交差点には信号が設置されます。
踏切と交差点は 80m しか離れておりません。当時、一日15,000台の交通量があった道道で、踏切の一時停止は交通渋滞を招く原因となっていました。公共臨港線を通過する列車は、一日38本ありました。交差点・踏切の双方で一時停止を強いられるケースが予想され、一層の渋滞が発生しかねません。
そこで考え出されたのが、全国初の試みとなった「踏切連動信号機」です。1,740万円を費やして、同年3月中旬から使用を開始しました。
仕組みは次の通りで、列車が通過しない限り、踏切で一時停止する必要がなくなりました。
この珍しい仕組みも公共臨港線廃止で消えました。フェリーターミナルを結ぶ臨港道路との交差点は、踏切跡に移動しています。
フェリーターミナルの移転については、苫小牧港線の記事内に書いた苫小牧西港の建設をご参照ください。
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写真B・1975年9月28日撮影。公共臨港線の左・雑貨埠頭線と右・石炭埠頭線を渡る広路3号大踏切。公共臨港線は1988年11月21日廃止。上厚真苫小牧線の旧道が一部残っていた。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング。縮尺は8千分1。
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写真C・2018年8月20日撮影。北側に4車線が増設された。公共臨港線の跡は、一部が道路に転用されている。フェリーターミナルへのアクセスは旧道が2車線に対し、現ルートは4車線である。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング。縮尺は1万分1。
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写真D・1975年10月1日撮影。苫小牧港開発臨海鉄道の一本松幹線を渡る踏切。上厚真苫小牧線の旧道も形をとどめている。一本松幹線の廃止は1987年3月31日。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミングし、50%に縮小。元画像の縮尺は8千分1。
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写真E・2018年8月20日撮影。道道旧道や一本松幹線跡は企業の敷地に取り込まれた。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミングし、50%に縮小。元画像の縮尺は1万分1。