苫小牧港線は苫小牧環状線の前身にあたる道道です。起点は現在と同位置で、終点は字明野――現在の柳町1丁目国道交点にありました。
高度成長期に認定され、わずか8年4か月で廃止されました。「消えた」のは、路線名だけではありません。ルートの一部が、苫小牧港(西港)建設によって消えてしまったのです。
図1・苫小牧港の地図。赤い線は当初の、紫の線は変更された道道苫小牧港線の一部。マーカーをクリックすると、該当地点の情報を表示します。 初期画面へ
図1▲の赤い線は幅員 60m の都市計画道路に指定され、1967・68年度に 1,400m 余りが舗装されます。進出した企業の通勤路線でもありました。1970年の時点で、通勤者は約400人です。
一方で苫小牧港の掘り込みは東へ進み、苫小牧港線の分断が確実でした。次の構想が浮上します。
1と2は建設費が高く、3は採算性に問題があり、見送られました。分断されたのは1971年1月です。前年9月の当初予定を、年末の繁忙期に使用したいとの要望を受け延期しました。
代わって道道へ昇格したのが、図1▲の紫色のルートです。C地点-D地点の大半は、臨港道路中央南ふ頭幹線です。『苫小牧港史』では1971年10月供用開始とありますが、分断された時点で開通していた可能性もあります。上厚真苫小牧線の跨線橋の西へ出る、臨港道路勇払ふ頭幹線の供用開始は1975年12月です。苫小牧環状線へ引き継がれた紫色のルートは、1974年秋より勇払市街を経由する現ルートへ変更されました。同線の起点から一般国道234号交点までは旧国道なのです。
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写真A・1970年5月16日撮影。掘り込み前の道道苫小牧港線。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミングし、66.7%に縮小。元画像の縮尺は2万分1。
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写真B・1975年9月28日撮影。掘り込みが進み、かつての道道は分断された。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミングし、28.6%に縮小。元画像の縮尺は8千分1。
区間 変更前後の別 敷地の幅員 延長 備考 苫小牧市字勇払145番の5地先から
苫小牧市字勇払152番の43地先まで前1 22.00m から 26.00m まで 2,891.00m 苫小牧市字勇払145番の5地先から
苫小牧市字勇払149番の22地先まで後1 13.50m から 48.00m まで 3,520.71m 苫小牧市字勇払149番の22地先から
苫小牧市字沼の端133番地先まで後2 14.02m から 27.27m まで 1,767.75m 苫小牧市字沼の端133番地先から
苫小牧市字勇払152番の43地先まで後3 10.00m から 50.00m まで 2,976.54m 道道上厚真苫小牧線重用区間
区間 供用開始の期日 苫小牧市字勇払149番の22地先から
苫小牧市字沼の端133番地先まで昭和46年2月13日
区間 供用開始の期日 苫小牧市字勇払145番の5地先から
苫小牧市字勇払149番の22地先まで昭和46年2月23日
図2▲を見ると、一般国道36号と立体交差する道路が描かれています。現在は跡形もありません。いったい何のために建設され、消えたのでしょうか。結論を先に書くと、土砂運搬に使われたのです。
苫小牧港の掘り込みで掘削された土砂は、一部が近海に捨てられたほか、明野地区の湿原埋め立てに利用されました。工業団地の造成が主目的で、埋め立てた土砂の量は300万立方メートルに達したといいます。あけぼの町・新開町・柳町・明野新町・新明町・美園町・泉町の全部または一部が対象区域にあたり、高校野球やスケートで有名な駒大苫小牧高校も含まれます。国鉄の操車場(現・JR貨物苫小牧駅)造成にも活用されました。
1960年から始まった掘削土砂の運搬は、一般国道36号を経由して行われていました。しかし交通密度は年々増大し、一日のべ 2,000 ~ 3,000台(1台につき20~30往復)のダンプカーが往来する国道は危険が高く、騒音や路面損傷の問題が顕在化します。
そこで運搬専用の道路が建設されます。掘削現場と苫小牧港線を結ぶ道路と、同線の港跨線橋を過ぎてから分岐する延長 580m の道路です。平面交差による混雑を緩和するため、図1▲のB地点から約 350m 西方に国道を越える全長16mの跨道橋が設けられました。跨道橋は1966年4月に着工、同年7月末に完成し、8月から使用されたようです。
専用道路は、使命を終えた1973年5月から廃道工事に入りました。道路としての用地契約が切れたことと、苫小牧港の掘り込みが残りわずかになったことが理由です。跨道橋は、1,950万円を投じて同年8月までに取り壊されました。
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写真C・1970年5月16日撮影。跨線橋の途中から分岐する跨道橋。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング・角度を補正し、50%に縮小。元画像の縮尺は2万分1。
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写真D・1981年10月27日撮影。専用道路の痕跡は、わずかに留める程度になっている。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミングし、50%に縮小。元画像の縮尺は2万分1。
天然の良港である室蘭に対し、苫小牧の海岸は遠浅の砂地で、港に適しませんでした。大正期には石炭や木材の積出港を苫小牧に建設する構想が出されますが、いずれも具体化まで至りませんでした。
1938年、苫小牧に工業港を建設する計画が表面化します。総事業費3,000万円の掘り込み式で平面図も作成され、1942年には現地調査も実施されました。石狩と苫小牧を運河で結ぶ、後の千歳川放水路にも通じる構想も検討され、1940年度から1942年度にかけて測量調査が行われています。いずれも、戦争の激化で計画は中止されました。
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写真E・1947年10月17日撮影。港が建設されるまで、一帯は原野であった。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミングし、50%に縮小。元画像の縮尺は3万1千分1。
1949年4月15日、苫小牧港は調査指定港湾に指定されます。1951年度の予算折衝で事業費が認められ、1951年8月26日に起工式が挙行されました。
だが、工事は遅々として進みません。
起工式の時点で港湾の規模が決まっておらず、水路策定に時間を要し、最終的な計画案がまとまったのは1957年10月でした。この間の予算も2億6,800万円余りしかつかず、工事も防波堤の整備が主です。実現を危ぶむ声も、少なからずありました。
建設時の諸問題を解決する調査が、並行して実施されます。特に砂の堆積を避けるため、1950年から1962年にかけて漂砂調査が行われました。
工事が本格化するのは、「特定港湾施設工事特別会計(注1▼)」に編入された1959年以降です。市有地や農地、戦後に東京から入った開拓地を買収するとともに、掘り込みに使用する浚渫(しゅんせつ)船が1960年6月下旬より作業を開始します。1961年度以降は10億円超の予算が配分され、工事は加速しました。1963年2月に、商港区の石炭埠頭(現在の入船埠頭)が完成します。
1963年4月1日に重要港湾の指定を受け、初めて貨物船が入港したのは同年4月25日です。
フェリーターミナルが東埠頭(図1▲のG地点)に設けられたのは1972年で、最初のフェリーが入港したのは同年4月29日です。ターミナルは暫定でした。航路の増加に対応する新ターミナルが、現在地の工業港区に新設されます。ターミナルビルと同時に、1975年4月1日より使用を開始しました。
水路の掘込は、1976年度まで継続されました。1981年5月26日より、特定重要港湾に指定されています。
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写真F・1966年9月2日撮影。開港から日が浅い頃の苫小牧港。さらに東へと掘り進んでいった。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミングし、25%に縮小。元画像の縮尺は2万分1。
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写真G・1975年9月28日撮影。新旧フェリーターミナル。旧フェリーターミナルの建物は、公共東1号上屋に建て替えられ現存しない。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミングし、25%に縮小。元画像の縮尺は8千分1。
西暦 | 総延長 | 重用延長 | 未供用延長 | 実延長 | 改良済延長 | 未改良延長 | 砂利道 | 舗装 | 改良の割合 | 舗装の割合 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1964 | 9,400 | 9,400 | 1,080 | 8,320 | 9,400 | 11.5 | 0.0 | |||
1965 | 8,400 | 1,600 | 6,800 | 3,655 | 3,145 | 6,800 | 53.8 | 0.0 | ||
1966 | 8,400 | 1,600 | 6,800 | 4,000 | 2,800 | 6,752 | 48 | 58.8 | 0.7 | |
1967 | 8,263 | 8,263 | 4,000 | 4,263 | 8,215 | 48 | 48.4 | 0.6 | ||
1968 | 8,263 | 8,263 | 4,000 | 4,263 | 7,555 | 708 | 48.4 | 8.6 | ||
1969 | 8,304 | 42 | 8,262 | 4,012 | 4,250 | 6,826 | 1,436 | 48.6 | 17.4 | |
1970 | 10,503 | 42 | 10,461 | 6,211 | 4,250 | 6,826 | 3,635 | 65.3 | 34.7 | |
1971 | 14,581 | 48 | 14,532 | 5,758 | 8,774 | 9,024 | 5,508 | 39.6 | 37.9 | |
1972 | 14,581 | 48 | 14,532 | 5,758 | 8,774 | 9,024 | 5,508 | 39.6 | 37.9 |
西暦 | 橋梁 | トンネル | 鉄道交差 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
個数 | 延長 | 個数 | 延長 | 立体 | 平面 | |
1964 | ||||||
1965 | ||||||
1966 | 1 | 48 | 2 | |||
1967 | 2 | 48 | ||||
1968 | 2 | 48 | 1 | |||
1969 | 1 | |||||
1970 | ||||||
1971 | 2 | 30 | 1 | 2 | ||
1972 | 2 | 30 | 1 | 2 |
西暦 | 13.0m 以上 | 9.5m 以上 | 7.5m 以上 | 5.5m 以上 | 4.5m 以上 | 4.5m 未満 |
---|---|---|---|---|---|---|
1964 | 1,080 | |||||
1965 | 3,655 | |||||
1966 | 4,000 | |||||
1967 | 4,000 | |||||
1968 | 4,000 | |||||
1969 | 4,012 | |||||
1970 | 2,853 | 3,358 | ||||
1971 | 1,261 | 2,111 | 13 | 2,359 | 15 | |
1972 | 1,261 | 2,111 | 13 | 2,359 | 15 |
西暦 | 5.5m 以上 | 3.5m 以上 | 2.5m 以上 | 2.5m 未満 |
---|---|---|---|---|
1964 | 4,400 | (3,920) | ||
1965 | 2,800 | (345) | ||
1966 | 2,800 | |||
1967 | 4,263 | |||
1968 | 4,263 | |||
1969 | 4,250 | |||
1970 | 4,250 | |||
1971 | 8,168 | 606 | ||
1972 | 8,168 | 606 |