国道36号・明野の旧道

明野一本松

一般国道36号は苫小牧市の動脈です。2020年3月に市内の4車線化が完了しました。本稿では、明野・拓勇地区に絞ってご紹介します。1960年代と1980年代に、大きくルートが変わりました。

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5万分の1地形図「苫小牧」(昭和28年第2回修正測量)を約1.2倍に拡大。
図1。1960年代初めまで、室蘭本線とは一本松踏切で交差し、未舗装であった。5万分1地形図「苫小牧」(1953年第2回修正測量)を約1.2倍に拡大。
5万分の1地形図「苫小牧」(昭和43年編集)を約2.4倍に拡大。
図2。苫小牧市初の跨線橋の開通とともに、明野地区の開発が幕を開ける。5万分1地形図「苫小牧」(1968年編集)を約1.2倍に拡大。
2万5千分の1地形図「勇払」(平成18年更新)を約2倍に拡大。
図3。「柳町三丁目」の文字に重なる建物は、イオン苫小牧ショッピングセンターである。2万5千分1地形図「勇払」(平成18年更新)を約2倍に拡大。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より。
写真A・1961年5月1日撮影。1級国道36号線の一本松踏切。列車が接近しており、車両が一時停止している。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。解像度 400dpi の写真をトリミング。元画像の縮尺は1万分1。

1級国道に指定された当初、湿原の南端を直線的に進んでいました。室蘭本線を渡る一本松踏切の前後で直角に曲がり、日高本線を踏切で交差すると市街地が始まっていました(図1)。もちろん未舗装道路です。車道の幅員は場所により 6m と狭く、増加する一方の交通量に到底対応できない状態でした。一本松踏切は警報機こそあるものの、遮断機のない第三種踏切でした。

そこで建設されたのが、鉄道の北側に並行して西進し、中野跨線橋(延長 39.6m)で立体交差するルートです。1961年12月に着工し、総工費約9,100万円を投じて1963年4月1日に開通しました。最初は2車線で、4車線(一部6車線)への拡幅は1971年5月12日です。三光町から日高本線の踏切跡付近まで、約 2.4km 区間でした。

旧道の一本松踏切は、1962年12月1日に廃止されました。この日は、苫小牧操車場(現・JR貨物苫小牧駅)が使用を開始した日でもあります。日高本線移設工事のため、同年8月19日の早朝に踏切の通行を禁止した記録があります。

そうなると、踏切廃止から跨線橋開通まで5か月のブランクが開く。苫小牧と千歳を結ぶバスが踏切廃止後「東中野から左折、新国道により運行」とあり、一時的迂回路を設けていた可能性も考えられます。

国道の旧道は、すっかり跡形もありません。区画整理実施のためです。

ところで、一本松踏切はどこにあったのでしょう。

踏切のあった場所に、操車場の通路線がありました。札幌方面への貨車を仕訳する線路と、産炭地や北海道各地から到着した貨車を仕訳する線路を立体交差で結んでいます。ここを南下する道路が、一時期一般国道235号となりました。図1~図3を見比べる限り、一本松踏切はイオン苫小牧ショッピングセンターの南にあったようです。

関連する告示(一級国道36号線)

1962年3月3日建設省告示第403号(道路の区域の変更)
区間変更前後別敷地の幅員延長
苫小牧市字明野3番から 同市字明野4番まで27.27m ~ 27.27m1.271km
同上20.00m ~ 27.27m1.567km
1962年3月3日建設省告示第404号(道路の供用の開始)
区間供用開始の期日
苫小牧市字明野3番から 同市字明野4番まで昭和37年3月4日
告示注
  • 図2▲の右上から直進し、現国道と合流する細い道路が、旧道にあたる。現在の町名では、明野元町2丁目から柳町2丁目まで。
1962年3月31日建設省告示第1079号(道路の区域の変更)
区間変更前後別敷地の幅員延長
苫小牧市字明野9番から 同市字中野80番まで前A19.50m ~ 28.10m4.904km
同上後A19.50m ~ 28.10m4.904km
同上後B11.00m ~ 41.00m4.526km
備考上記A及びBは、関係図面に表示する敷地の区分をいう。
告示注
  • 現ルート・B区域を編入した。
1964年11月21日建設省告示第3194号(道路の区域の変更)
区間変更前後別敷地の幅員延長
苫小牧市字明野9番から 同市字中野80番まで前A19.50m ~ 28.10m4.904km
同上前A11.00m ~ 41.00m4.526km
同上後B11.00m ~ 41.00m4.679km
備考上記A及びBは、関係図面に表示する敷地の区分をいう。
1964年11月21日建設省告示第3195号(道路の供用の開始)
区間供用開始の期日
苫小牧市字明野9番から 同市字中野80番まで昭和39年11月22日
告示注
  • 踏切経由から跨線橋経由へルートを切り替えた。
  • 切り替えた時点で延長が若干伸びているのは、距離の測定違いによる。
  • 実際の踏切廃止・跨線橋開通と告示の時期は、かなりズレがある。
  • 旧道の一部は、1966年6月まで一般国道235号に、1967年1月まで上厚真苫小牧線に転用された。

拓勇の国道

札幌から苫小牧へ走行すると、一般国道234号交点を過ぎて右へ緩くカーブし、次いでT字路交差点を左折します。図4で分かるように、かつては右カーブの地点を直進するルートでした。航空写真では直線の痕跡が見られます。取材時は、草に覆われて確認できませんでした。

右カーブからT字路までは、道道苫小牧環状線として開通しました。告示では1975年8月15日供用開始となっているが、実際はもっと早い時期に開通していたようです。当時は分岐点に信号があり、札幌方向から苫小牧へは、赤信号でも国道を直進できた記憶があります。左窓は国有林で歩道もありません。郊外の原野といった趣がありました。写真1の風景に、その面影はありません。

この区間の4車線化に旧道を拡幅せず現ルートを採用したのは、都市計画道路網の構想に沿ったものと想定されます。

5万分の1地形図「千歳」(昭和42年編集)と5万分の1地形図「苫小牧」(昭和43年編集)。等倍。
図4。現在のあけぼの町一帯は湿原であった。苫小牧港線の記事で記述した、土砂運搬の専用道路が描かれている。
写真1。かつての分岐点、苫小牧方向を見る。
写真1。以前の一般国道36号は直進していた。道道苫小牧環状線が分岐するようになり、信号機も設置されていた。道道のルートが国道へ昇格し、直進する道は廃道となった。左側にあった国有林は伐採されて開けている。2009年11月8日撮影。撮影地 苫小牧市拓勇東町7丁目
2万5千分の1地形図「ウトナイ湖」(平成5年修正測量)と2万5千分の1地形図「勇払」(平成3年修正測量)を約1.3倍に拡大。
図5。旧国道がほぼそのまま残っている。2万5千分1地形図「ウトナイ湖」(1993年修正測量)と2万5千分1地形図「勇払」(1991年修正測量)を約1.3倍に拡大。
2万5千分の1地形図「ウトナイ湖」(平成20年更新)を約1.3倍に拡大。
図6。土地区画事業により、旧国道の一部が消えた。周辺道路の整備も目覚ましい。2万5千分1地形図「ウトナイ湖」(2008年更新)を約1.3倍に拡大。
図7について
  • ズームアウトは初期画面より5段階まで。
  • 赤い線(旧国道)は、あくまで目安です。極力再現するよう努めておりますが、正確性・精密性は保証いたしません。

図7・2009年に明野橋が架け替えられ(A地点)、ルートが新しくなっている。赤い線が、一本松踏切経由の旧ルート。 旧ルート全体を表示初期画面へ

写真2。2009年に完成した明野橋。
写真2。新しい明野橋は2009年1月に完成し、新開町を通る明野南3条通と直線で結ばれた。2009年11月8日撮影、2枚の写真を合成。撮影地 苫小牧市明野元町2丁目
写真3。旧明野橋からカーブした旧国道。札幌方向を見る。
写真3。センターラインに往時の面影を残す旧国道。カーブの先で旧明野橋を渡っていた。写真の旧道跡は宅地化され現存しない。2009年11月8日撮影。撮影地 苫小牧市明野元町2丁目
写真4。解体された旧明野橋。
写真4。市道へ移管後も使用された旧国道の明野橋は新橋完成によるルート変更に伴い、2009年に解体された。札幌方向を望む。2009年11月8日撮影。撮影地 苫小牧市明野元町2丁目

都市計画「沼ノ端鉄北土地区画整理事業」に伴い、旧国道の一部は廃道となります。都市計画道路「拓勇3条通」にも取り込まれますが、ルートは一致しません(図5・図6)。明野川に架かる、1954年完成の明野橋(全長 14.34m)周辺が最後まで残されました。これも明野川改修工事の際、国道の西にある新開町へ抜ける新しい橋が2009年に完成し、旧橋は撤去されました。唯一の名残であった旧橋西方の旧道は通行止めとなり、その後宅地化され痕跡は消え失せています。

関連する告示(一般国道36号・同235号重複)

1988年9月7日建設省告示第1841号(道路の区域の変更)
区間変更前後別敷地の幅員延長
苫小牧市字沼ノ端284番から 同市字明野3番2まで前A10.50m ~ 35.30m1.308km
同上後A10.50m ~ 35.30m1.308km
苫小牧市明野141番1から 同市字明野3番2まで後B35.00m ~ 75.00m0.532km
備考上記A及びBは、関係図面に表示する敷地の区分をいう。
区間変更前後別敷地の幅員延長
苫小牧市字明野3番2から 同市字明野3番2まで27.27m ~ 27.27m0.536km
同上35.00m ~ 80.00m0.553km
告示注
  • 上3行とした2行は同一告示である。
  • 後Bは、苫小牧環状線から旧道と合流する地点まで。
  • 下2行の区間終点は、スーパーセンタートライアル苫小牧東店前付近まで。
  • 後Bの最大幅員は、図7▲の赤色で囲まれた区域を指す。
  • 後半区間の最大幅員が 80m あるのは、十字路交差点全体が国道の区域に含まれるからである。図7▲では、青色で囲まれた部分を指す。
  • 現在の町名では、A区域が拓勇西町8丁目から明野元町2丁目まで、B地域が明野元町2丁目内、残る区間は柳町1丁目までに相当する。
1988年12月20日建設省告示第2437号(道路の区域の変更)
区間変更前後別敷地の幅員延長
苫小牧市字沼ノ端284番から 同市字明野3番2まで前A10.50m ~ 35.30m1.308km
苫小牧市字明野141番1から 同市字明野3番2まで前B35.00m ~ 75.00m0.532km
苫小牧市字沼ノ端284番から 同市字明野3番2までB・C35.00m ~ 75.00m1.681km
備考上記A・B及びCは、関係図面に表示する敷地の区分をいう。
1988年12月20日建設省告示第2445号(道路の供用の開始)
区間供用開始の期日
苫小牧市字明野141番1から 同市字明野2番1まで昭和63年12月20日
1990年3月22日建設省告示第588号(道路の供用の開始)
区間供用開始の期日
苫小牧市字明野2番1から 同市字明野1番2まで平成2年3月22日
告示注
  • 現ルートが4車線で開通すると同時に、C地域・苫小牧環状線を国道に編入した。
  • 新たに建設されたB区域は、A区域の終点とC地域の終点をつないでいる。ルート切り替えに伴い、A区域は市道へ移管された。
  • 1990年の供用開始は土地区画整理事業で用地を取得し、2車線を4車線に拡幅した。
  • 重複区間発生については1988年10月19日付で、開発局より北海道へ通知された(注1▼)。
注1
道路法第11条第3項は「他の道路の路線と重複するように路線を指定し、認定し、若しくは変更しようとする者又は他の道路の路線と重複している路線について路線を廃止し、若しくは変更しようとする者は、現に当該道路の路線を認定している者に、あらかじめその旨を通知しなければならない」と定めている。

関連する告示(道道苫小牧環状線)

1989年1月23日北海道告示第81号(道路の区域の変更)
区間変更前後の別敷地の幅員延長国道等との重複区間
苫小牧市字沼ノ端228番5地先から
苫小牧市字明野9番58地先まで
36.00m から 36.00m まで1,028.70m
同上36.00m から 36.00m まで1,028.70m一般国道36号重複 L = 1,028.70m
告示注
  • 一般国道36号との重用延長が生じた告示である。
  • 国道の告示とは幅員が異なる。
  • 重複区間は4車線で、その先の一般国道276号交点までは6車線となる。
  • 現在の町名では、拓勇西町8丁目から新開町1丁目に含まれる。
参考文献
  • 『苫小牧港史』(苫小牧港管理組合。1982年3月31日発行)
  • 『広報とまこまい』(1961年10月1日号・1962年8月10日号・1962年12月10日号・1963年4月1日号)
  • 『苫小牧市史年表』(1977年3月31日発行)
  • 『橋梁、トンネル、立体横断施設、覆道等現況調書』(北海道開発局。2008年4月1日現在)
  • 『鉄道ジャーナル』(1971年2月号)
苫小牧シリーズ
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