一般には、公共臨港線と略されます。
図9を見ると、幹線道路と踏切で交差しているのが分かります。
この「広路3号大踏切」については、道道上厚真苫小牧線の記事で触れた踏切連動信号機をご参照ください。
年月日 | できごと |
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1961年8月 | 貯炭場高架桟橋を着工。 |
1962年9月11日 | 操車場-埠頭間を着工。 |
1963年2月28日 | 建設工事完成。 |
1963年3月25日 | 試運転。 |
1963年4月1日 | 開業。 |
1963年11月27日 | 国鉄線との立体交差完成。 |
1967年1月11日 | 線路増設工事が完了。 |
1988年11月21日 | 石炭貨車輸送を廃止。 |
苫小牧港は当初、石炭積み出し港として計画されました。まず整備されたのは石炭埠頭と貯炭場であり、最初に入港したのも石炭積み出し船です。貨車を埠頭まで運ぶ目的で建設されました。苫小牧港(西港)の歴史は、苫小牧港線の記事内に書いた苫小牧西港の建設をご参照ください。
建設には紆余曲折がありました。
「苫小牧市が管理・運営しないのであれば、公共線として認められない」とする国鉄に、港湾管理側の苫小牧市と北海道開発局は強硬に反発し、機関車を港湾管理者が負担することで決着しました。管理は苫小牧市が、運営は苫小牧港開発が行うこととなります。なお1987年度から、臨海鉄道と別々であったが要員が一本化されました。レール・枕木・道床の砂利は、日高本線の旧線から転用されました。
1973年末の延長は 2.2km です。このほか、操車場の立体交差・引上線・受渡線・仕訳線・出発線が含まれます。貯炭場の石炭高架線は4本ありました。
中空知・夕張の石炭を受け入れ、最盛期には1日300両~400両の石炭貨車が入り、操車ヤードは常時満車状態だったそうです。1973年がピークとなり、以後は炭鉱の閉山・縮小と鉄道廃止もあって、徐々にトラック輸送へ交代してゆきます。1988年11月に三井芦別鉄道から発送された列車を最後に、貨車での積み込みは中止されました。営業期間中に受け入れた石炭貨車は約200万両・5,978万トンです。
規模を縮小して続けられた石炭積み出しは、1993年9月26日に最後の積み出し船が仙台へ向け出港し、10月1日より施設が解体されました。跡地は、外貨コンテナターミナルとして再開発されます。
年月日 | できごと |
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1965年5月23日 | 建設工事着工。 |
1965年9月29日 | 13時より試運転。 |
1965年10月1日 | 開業(2,300m)。 |
1970年1月 | 路線延長(2,400m)。 |
1971年10月 | 路線延長(400m)。 |
1979年度 | 一部廃止(1,700m)。 |
1984年4月11日 | 運転休止。 |
その後 | 廃止年月日は不明。 |
線名 | 延長 | 備考 |
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西埠頭線 | 2.3 | 石炭埠頭線より分岐。 |
東埠頭線 | 1.23 | 西埠頭線より分岐。 |
西埠頭第2公共臨港線 | 1.71 | 西埠頭線より分岐。 |
南埠頭線 | 0.8 | 第2公共臨港線に接続。 |
年度 | 事業費 | 内訳 |
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1961 | 2億2,500万円 | 臨港鉄道工事一式(5,000万円)。鉄道移設工事一式(1億7,500万円)。 |
1962 | 3億4,200万円 | 臨港鉄道工事一式(1億円)。鉄道移設工事一式(2億4,200万円)。 |
1963 | 5,650万円 | 臨港鉄道工事一式。 |
1965 | 1億2,300万円 | 臨港鉄道(雑貨埠頭。延長=8,290.4m)。 |
1966 | 8,000万円 | 臨港鉄道(石炭埠頭。延長=5,140m)。 |
1969 | 5,639万2,000円 | 臨港鉄道。延長内訳-1,716.8m(3,269万4,000円)。1,230.8m(1,753万2,000円)。422.2m(616万6,000円)。 |
1971 | 725万5,000円 | 臨港鉄道(延長=376.1m) |
1972 | 2,201万8,000円 | 臨港鉄道工事一式。 |
苫小牧港で最初に整備された商港区は、石炭埠頭を除く周囲を「雑貨埠頭」と呼びます。開港当初は貨物輸送をトラックに頼らざるを得ず、不便を強いられました。
1964年に入って鉄道建設の陳情を重ね、地元国会議員の尽力もあり、1億4,000万円の建設費が1965年度予算で計上されました。なお表14の数字と異なっており、予算より少なく済んだのかもしれません。
業務一切を苫小牧港開発に委託すべく打診すると固辞されたため、苫小牧市は苫小牧埠頭株式会社へ持ちかけ、最終的に同社が中心となって新会社「苫小牧臨港鉄道株式会社」を設立し、運営にあたります。1965年4月末の予定だった着工は用地買収が捗らず、5月に持ち越されました。
開通時の軌道総延長は『苫小牧港史』によると 7.12km 、『苫小牧埠頭株式会社50年史』によると 6,786m です。肥料・木材・セメントなどを発送し、肥料・麦・米・木材などが到着しました。ピーク時の総延長は、13km に達したといいます。
貨物取扱量は1971年度の45万4,623トンが最高で、1974年度には20万トンを割るなど急速に落ち込みました。手間のかかる鉄道は敬遠され、長距離トラックの普及・フェリー航路の就航が拍車をかけました。鉄道は赤字になり、計画していた王子製紙株式会社・国策パルプ工業株式会社(現・日本製紙株式会社)専用線の受託がかなわないこともあって、1975年7月1日付で苫小牧臨港鉄道は苫小牧埠頭に吸収合併されます。両社が持つ自動車貨物運送部門を一本化する狙いがありました。その後も路線一部廃止など合理化を図るものの、1983年度の貨物取扱量は3万6,000トン余りに終わり、国鉄が1984年2月1日のダイヤ改正で貨物列車を削減したことが追い打ちをかけ、休止のやむなきに至ったのです。